ジーン・ケリー
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ジーン・ケリー(Gene Kelly,1912年8月23日 - 1996年2月2日)は、アメリカ合衆国ペンシルバニア州生まれの俳優、ダンサー(タップダンス)。ピッツバーグ大学経済学部卒。
1938年からブロードウェイでダンサーをしていたが、1941年にMGM入りをし、1942年に映画デビュー。
フレッド・アステアと共にMGMの二枚看板として活躍したが、二人の共演は少なく、1946年の『ジーグフェルトフォーリーズ』と、1976年の『ザッツ・エンタテインメント PART2』の2作にとどまる。 その他の作品には『雨に唄えば』、『踊る大紐育』『巴里のアメリカ人』などがある。
デビュー作は『フォーミー・アンド・マイ・ギャル』。ジュディ・ガーランドと共演をした。 この後はたくさんのMGMの作品に主演し、ハリウッドの黄金時代を築いた。更に、監督・脚本もこなすマルチな才能も見せ、まさにMGMの万能選手であった。
ケリーのダンスは躍動感に溢れ、アクロバティックな中にも緻密に計算された素晴らしさがある。また、スタントマンを使わない事でも有名で、映画が出来上がってから会社が知るといった事も間々あったらしい。アステアの華麗で洗練されたダンスとはまた違った素晴らしさがあり、このタイプの異なる二人がいたからこそ、二枚看板と言われた所以かも知れない。
[編集] エピソード
曰「フレッド・アステアがダンス界のケーリー・グラントだとしたら、私はマーロン・ブランドだ。」
[編集] 主演映画作品
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