スズパレード
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1981年3月21日 |
父 | ソルティンゴ |
母 | スズボタン |
生産 | 柏台牧場 |
生国 | 日本(北海道門別町) |
馬主 | 小柴芳夫 |
調教師 | 富田六郎(美浦) |
競走成績 | 25戦12勝 |
獲得賞金 | 3億8022万4200円 |
スズパレードは、1980年代に活躍した日本の競走馬。1987年の宝塚記念など重賞8勝をあげ、8歳まで活躍した。
スズパレードの父ソルティンゴは、牧場で放牧中の事故がもとでわずか1世代しか子孫を残せなかった。スズパレードはソルティンゴの数少ない産駒の1頭である。
※馬齢は全て旧表記(数え年)にて表記する。
[編集] 戦績
1983年11月東京競馬場での3歳新馬戦でデビューする。2戦目で勝ちあがり、その後2連勝して翌年の牡馬クラシック戦線の有力候補として名乗りを上げた。
だが4歳になり、共同通信杯4歳ステークス、弥生賞、皐月賞、日本ダービーと4戦連続して4着に終わった。弥生賞、皐月賞、日本ダービーはいずれもシンボリルドルフが勝利した。日本ダービーの後、ラジオたんぱ賞でようやく重賞初勝利をあげた。3ヶ月休養したあと、セントライト記念に出走するも6着に敗れ、菊花賞には向かわず、その後は中距離重賞路線を歩むことになった。
5歳になり中山金杯を勝利しその後中山記念に出走登録を行ったが、レース前日に脚部不安により出走取り消しをして半年以上の休養を取った。休み明けで秋の天皇賞に出走し、そしてダービー卿チャレンジトロフィーに勝利するも、その後再び脚部不安で長期休養となった。
6歳は休養明け2戦目で11月にダービー卿チャレンジトロフィーに再び勝利し、有馬記念に挑戦するも8着に終わった。7歳で中山記念に勝利して安田記念では単枠指定となるも7着に敗れた。その後、宝塚記念に出走して見事にニッポーテイオーやニシノライデンやフレッシュボイスなどを退けて、念願のGI勝利を飾った。
宝塚記念勝利のあと、またもや脚部不安で1年以上に渡ってレースを休み、8歳秋になって長期休養明け復帰戦のオールカマーに勝利した。その後ジャパンカップ、有馬記念と出走するも、それぞれ10着、8着と敗れて有馬記念を最後に現役引退をした。
休養がちだったものの息の長い現役生活だったため、シンボリルドルフ、ミホシンザン、ダイナガリバー、タマモクロス、オグリキャップといった馬たちと対戦している。
現役を通じて中山競馬場ではかなりの好成績をあげたが、その反面、左回りが苦手なのかコースが合わないのか、東京競馬場では日本ダービーの4着が好成績なぐらいで、他は大敗している。
引退後は種牡馬となっている。北関東公営競馬で12勝をあげる活躍をして後に中央競馬に転厩したスズハグラーが代表産駒。
[編集] 主な勝ち鞍
- 1984年(4歳)
- ラジオたんぱ賞(GIII)
- 福島記念(GIII)
- 1985年(5歳)
- 中山金杯(GIII)
- ダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)
- 1986年(6歳)
- ダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)
- 1987年(7歳)
- 中山記念(GII)
- 宝塚記念(GI)
- 1988年(8歳)
- オールカマー(GIII)
[編集] 血統表
スズパレードの血統 (ペティション系(ファラリス系) | |||
父
*ソルティンゴ Sortingo 1975 鹿毛 |
Petingo 1965 鹿毛 |
Petition | Fair Trial |
Art Paper | |||
Alcazar | Alycidon | ||
Quarterdeck | |||
Soragna 1965 鹿毛 |
Orvieto | Macherio | |
Fior d'Orchidea | |||
Savigny | Mistral | ||
Sernaglia | |||
母
スズボタン 1972 鹿毛 |
*ロムルス Romulus 1959 鹿毛 |
Ribot | Tenerani |
Romanella | |||
Arietta | Tudor Minstrel | ||
Anne of Essex | |||
スズキール 1967 鹿毛 |
*ヴィミー | Wild Risk | |
Mimi | |||
マツトミ | *ヒンドスタン | ||
エベレスト F-No.7-c |
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