ミホシンザン
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![]() 2006年9月20日撮影 |
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1982年4月16日 |
父 | シンザン |
母 | ナポリジョオー |
生産 | 日進牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 堤勘時 |
調教師 | 田中朋次郎(美浦) |
競走成績 | 16戦9勝 |
獲得賞金 | 4億8467万9200円 |
ミホシンザンは、日本の競走馬。クラシック三冠馬シンザンの代表的な産駒で、皐月賞と菊花賞のクラシック二冠を達成した。他に天皇賞(春)などに勝利している。16戦すべて柴田政人が騎乗した。英文馬名は『MIHO SHINZAN』である。
以下、馬齢は旧表記(数え)で統一する。
目次 |
[編集] 現役時代
ミホシンザンは4歳1月の中山の新馬戦でデビューし、9馬身差でデビュー戦を飾った。400万下条件の水仙賞も2馬身1/2差で快勝し、連勝で臨んだスプリングステークスでは、逃げるサザンフィーバーの落馬事故を切りぬけて優勝、3連勝でクラシックを迎えることとなった。そして1番人気で挑んだ皐月賞は、2着スクラムダイナに5馬身差をつけて優勝した。しかし、レース後に骨折が判明し(レース前にすでに骨折していたとも言われた)東京優駿(日本ダービー)出走は叶わなかった。後に、生産者の谷川利昭は「あの時の骨折でミホシンザン本来の力は失われた」と話している。
復帰初戦となったセントライト記念では、道悪の中で5着に敗れ、生涯初の敗北を喫した。しかし、セントライト記念優勝馬タイガーボーイ、2着馬グリーンカップの故障による戦線離脱や、東京優駿優勝馬シリウスシンボリの海外遠征もあり、続く京都新聞杯・菊花賞を1番人気で連勝、ダイナナホウシュウ・キタノカチドキに続く3頭目の皐月賞・菊花賞の二冠を達成した。次走の有馬記念ではシンボリルドルフと対戦したが、4コーナーで一度並びかけたものの、4馬身差の2着に敗れている。それでもその実力は高く評価され、この年のJRA賞・最優秀父内国産馬、最優秀4歳牡馬に選出された。
5歳の初戦となった日経賞で6着に敗れた後に2度目の骨折が判明。秋になって復帰すると初戦の毎日王冠3着に始まり、天皇賞(秋)はサクラユタカオーの前に3着、ジャパンカップは日本馬最先着ながら3着、1番人気に押された有馬記念でも3着に終わり、秋のGI戦線すべて3着となってしまった。それでも本年は父内国産馬からGI勝馬が出なかったこともあって、最優秀父内国産馬に選出された。
未勝利に終わった5歳時だったが、6歳時には復活を遂げる、アメリカジョッキークラブカップでは、惜敗続きの流れを止めるために思い切って逃げの戦法を取り、菊花賞以来の勝利を挙げた。日経賞ではダイナガリバーらを相手に5馬身差で優勝した。そして天皇賞(春)では苦戦しながらも、最後の直線で内ラチを突き僅差の1着でゴール、3連勝で天皇賞(春)を制した。なお、2位入線のニシノライデンが斜行により失格しているので、記録上は繰り上がり2着となったアサヒエンペラーに1馬身1/4差である。この後なかなか疲労が抜けず引退が決定し、天皇賞(春)が最後のレースになった。この年は年度代表馬サクラスターオーを抑え、3年連続で最優秀父内国産馬に選ばれている。
ミホシンザンに惚れ込んでいた柴田政人は、同馬の引退後、「これからはミホシンザンの柴田と呼んで下さい」と発言した。
[編集] 現役引退後
種牡馬入りしてからはマイシンザン、オンワードモニカらを輩出するも種付け数の減少で既に種牡馬生活も引退し、現在は日高町の谷川牧場清畠事業所で余生を送っている。2001年には当時中央競馬に唯一所属していたグランドシンザンが7歳にして愛知杯(GIII)を制し、同年のグランドシンザンによるオパールステークスが中央競馬で最後の勝利となった。グランドシンザンは後にホッカイドウ競馬に移籍、2005年4月1日に登録を抹消され、全ての産駒が事実上引退した。一応名古屋競馬のキャニオンマープルが登録をされているものの、2004年12月以降出走はしていない。
[編集] 基礎データ
[編集] 戦績
1985年(8戦6勝) - 最優秀父内国産馬 最優秀4歳牡馬
- 1着 皐月賞(GI)、菊花賞(GI)、スプリングステークス(GII)、京都新聞杯(GII)
- 2着 有馬記念(GI)
1986年(5戦0勝) - 最優秀父内国産馬
- 3着 毎日王冠(GII)、天皇賞(秋)(GI)、ジャパンカップ(GI)、有馬記念(GI)
1987年(3戦3勝) - 最優秀父内国産馬
- 1着 天皇賞(春)(GI)、アメリカジョッキークラブカップ(GII)、日経賞(GII)
[編集] 産駒
- マイシンザン NHK杯、朝日チャレンジカップ
- グランドシンザン 愛知杯、オパールステークス
[編集] 天皇賞
ミホシンザンは現役時代天皇賞を制しており、父シンザンもこれを制している。種牡馬になったあと、産駒のマイシンザンが「父子3代天皇賞制覇」という偉業に挑戦したが失敗した。ミホシンザンのその他の産駒も天皇賞は制せず、記録はならなかった。なおこの記録は、パーソロン産駒であるメジロアサマから始まり、メジロティターン‐メジロマックイーンが父子3代で達成した。しかし、メジロマックイーンが目立った産駒を残せぬまま2006年4月3日に死去し、未だに父子4代天皇賞制覇は成し遂げられていない。
[編集] 血統表
ミホシンザンの血統 (ボワルセル系(セントサイモン系)/アウトブリード) | |||
父
シンザン 1961 鹿毛 |
*ヒンドスタン Hindostan1946 黒鹿毛 |
Bois Roussel | Vatout |
Plucky Liege | |||
Sonibai | Solario | ||
Udaipur | |||
ハヤノボリ 1949 栗毛 |
ハヤタケ | *セフト | |
飛竜 | |||
第五バツカナムビユーチー | *トウルヌソル | ||
バツカナムビユーチー | |||
母
ナポリジョオー 1975 栗毛 |
*ムーティエ Moutiers 1958 栗毛 |
Sicambre | Prince Bio |
Sif | |||
Ballynash | Nasrullah | ||
Ballywellbroke | |||
*タイタイ Tai-Tai 1969 栃栗毛 |
Will Somers | Tudor Minstrel | |
*クイーンスジェスト | |||
Anneiv | *ヴィエナ | ||
Singing Sister F-No.9-c |