ズルジーニョ
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ズルジーニョ | |
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基本情報 | |
本名 | Wagner da Conceicao Martins |
あだ名 | ズール、暗黒大魔神 |
階級 | PRIDEヘビー級 |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1978年5月19日 |
出身地 | ![]() マラニョン州 |
現居住地 | ![]() マラニョン州 |
スタイル | 柔術 |
戦績 | |
総試合数 | 3(PRIDE) 07/1/21現在 |
総勝利数 | 1 |
KO勝ち | 1 |
一本勝ち | 0 |
判定勝ち | 0 |
総敗北数 | 2 |
KO負け | 1 |
一本負け | 1 |
判定負け | 0 |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
ズルジーニョ(Wagner "Zuluzinho" da Conceicao Martins)は、ブラジル出身の総合格闘家。一般的には「ズール」と呼ばれており、伝説の格闘家レイ・ズールを父に持つ。
目次 |
[編集] 来歴
公称200cm、185kgの巨体から繰り出される怪力を武器に、ブラジル格闘界で名を馳せていたらしい。
2005年、「PRIDE.30」にてPRIDE初参戦。戦闘竜を相手に1R1分31秒、グラウンドでの膝蹴りでKOデビューを飾る。
しかし、第2戦「PRIDE男祭り 2005」でのエメリヤーエンコ・ヒョードル戦で敗北。 来日前に一般の格闘技ファンにほとんど知られていなかったことからも、世界的な認知度、実績を誇る格闘家であったとは言えず、現在においても、ブラジル格闘界で挙げたとされる戦績(35戦無敗)や対戦相手、PRIDE参戦に至った経緯など不明な点が多い。
その後、2006年5月の「PRIDE無差別級GP 1回戦」でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ戦が組まれるが、あっさりと一本を取られてしまった。実力も未知数のまま、PRIDE2戦目でヒョードル、3戦目でノゲイラと対戦させたマッチメイクを疑問視する声が大勢である。
[編集] 父親
ズール家はもともとブラジル国内では有名な格闘一家であったと言われている。ところが、ズルジーニョの父レイ・ズールがヒクソン・グレイシーに敗れたことにより、ズール家は没落した。ズール父は修斗のリングでエンセン井上と闘った事もある(結果はKO負け)。貧困に喘ぐ現在の状況を打開する為にズルジーニョは闘っている(ファイトマネーは全額家に仕送りしていると言う)。
ちなみに、日本での引退試合の話があるらしく、トレ-ニングを再開した結果、61歳にして26歳の相手をグラウンドパンチでタップさせている。