PRIDE
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PRIDE(プライド)とは、イベント興行会社であるドリームステージエンターテインメント(Dream Stage Entertainment, DSE)が主催する総合格闘技イベントの名称。
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[編集] 概要
この名称による主な開催イベントは、
- 「PRIDE.」の後に開催順の数字が入る「PRIDEナンバーシリーズ」(1997年~)(大会名に '.' が入ってる理由は不明。命名者の誤解によるものという説もある。)
- 数大会に分け、トーナメントによって優勝者を決定する「PRIDE GP」大会(2000年、2003年、2004年、2005年開催)
- 実験的要素と日本対世界の対抗戦を軸にし、中軽量級中心に特化することとなった「PRIDE武士道」シリーズ(2003年~)
- 大晦日に行われ、当日時間差放送ながらも、フジテレビ系列の地上波放送にて、ゴールデンタイムを含む長時間(2005年度は18時~23時45分)に放送される「PRIDE男祭り」(2003年より毎年開催)
の以上4シリーズが2005年現在の主なイベントである。
1997年の「PRIDE.1」より数ヶ月に1回のペースで「PRIDEナンバーシリーズ」のみを行っていたが、2000年の1月と5月に体重無差別級による「PRIDE GP 2000」を開催。
その後はまた、数ヶ月に1回ナンバーシリーズの興行に落ち着くが、2003年には再び、今度はミドル級選手による「PRIDE GP 2003」を8月、11月の2大会に分けて行う。また、この年の10月に「武士道シリーズ」も初開催される。
その後の主な興行ペースは、2月、10月に「ナンバーシリーズ」、4月、6月、8月の3大会に分けて「PRIDE GP」の開催、その他の奇数月、あるいはナンバーシリーズとの合間になる間隔で「武士道シリーズ」が開催されている。
そして大晦日の「PRIDE男祭り」は、オリンピックの格闘競技でのメダリストや、他格闘競技のトップ選手などのPRIDEデビュー試合の場として、またはその年に各PRIDEイベントで活躍した選手が一度に集うマッチメイクを行い、さながらオールスター大会と言えるイベントとして開催される。
そして「男祭り」の全試合終了後、ささやかなカウントダウンイベントによって新たな年を迎えるのが、近年のPRIDE名による興行の流れである。
各シリーズそれぞれにテーマを持った興行を行ってはいるが、プロ野球のリーグ的な要素での分け隔てはないため、ミルコ・クロコップのように、年間を通して、どのシリーズにも参戦している選手も多くおり、各シリーズの大まかなイメージをつかむ事ができれば、あとは同じPRIDEシリーズであると考えても差し支えはない。
但し、2005年からの武士道シリーズは、「中、軽量級」のみの試合を行う興行として、今までよりナンバー、GPシリーズとの差別化が計られるようになった。
各開催イベントについては、下記の「大会名などの一覧」を参照のこと。
その他の関連するイベント・大会としては、PRIDEへの登龍門を謳い二軍的位置付けだった「MMA THE BEST」シリーズ、東海テレビのテレビ番組「PRE-PRIDE」「PRIDE王」内企画の大会だった「PRE-PRIDE」シリーズ、興行的要素を一切排したアマチュア選手のための大会「PRIDEチャレンジ」がある。
PRIDEオフィシャルサイトには、大会が近づくと各試合専用の掲示板が設置される。また、オフィシャルメンバーズサイトに入会すると、ブログを開設することもできる。PRIDEオフィシャルサイトから直接リンクしていることもあり、PRIDEに関連する様々な話題について多くのファンが活発な意見を交わすことで内容が充実している。しかし、一部に他団体を誹謗中傷するファンやブロガーがいる。また、掲示板には検閲がなされている。
[編集] 沿革
第1回大会は1997年10月11日に開催され、当時世界400戦無敗と名高かったヒクソン・グレイシー対日本人プロレスラーの高田延彦の対戦で注目を集める。 以後定期的に開催され、アメリカのUFC、日本のK-1に並ぶ一大格闘技ショーに成長した。
初期には、スタンディングバウトルール、空手ルール、組み技ルールなど夢の対戦カード実現の舞台として、色々なルールも試行されたが、現在は総合格闘技ルールに一本化。立ち技のK-1に対して、立ち技も寝技もありの総合格闘技として認知されている。
PRIDE.1から4までは、実行委員会形式のKRS(格闘技レボリューション・スピリッツ)が母体となって運営。KRSは、名古屋の広告代理店(DSE前社長森下直人が在籍した名古屋の家電チェーン・エイデン子会社のハドック、パーフェクTV!の広告代理店)、安室奈美恵関連の制作をしていた事務所、関西の大物プロモーター、東海テレビ事業を休職中で現DSE社長の榊原信行らが立ち上げたという。
そもそもPRIDEは、高田延彦とヒクソン・グレイシーの試合を実現するためだけに立ち上げられたイベント。きっかけは東海テレビ時代の榊原信行がUWFインターナショナルの名古屋大会の運営に携わり、高田延彦と深夜まで飲み明かしたことだったという。当初の企画書で、K-1の石井和義館長の名前が総合プロデューサーに名前を連ねていたのは、榊原信行が東海テレビ事業時代にK-1名古屋大会の運営をしていたためである。
KRSのスーパーバイザーは、三井物産の契約プロデューサーとしてパーフェクTV!立ち上げに参加し、サムライTVとメディアファクトリーのプロデューサーでもあった喜多村豊が務め、空手家の黒澤浩樹が代表幹事としてKRSの顔の役割を担った。
1999年1月20日に株式会社ドリームステージエンターテインメント(DSE)が発足し、実行委員会組織での運営に限界があったKRSに代わり、PRIDE.5から運営を担当し、現在に至っている。社長にはKRSで調整役として活躍した森下直人が就任。株の過半数を持つオーナー社長だったという。2000年8月27日のPRIDE.10で、アントニオ猪木がエグゼクティブプロデューサーに、2003年1月8日に森下直人が死去した後任の社長に榊原信行常務取締役が、2003年4月には、高田延彦がPRIDE統括本部長に、それぞれ就任。公的な役職には就いていはいないものの、作家の百瀬博教もプロデューサー的な立場だったと言われる(百瀬の公式ウェブサイトでは、興行を「百瀬博教プロデュース」と明記されていた)。なお、榊原体制発足時にテレビ制作会社イーストとスカイパーフェクト・コミュニケーションズの資本がDSEに入った。
K-1やUFCなどの他興行との協調路線を打ち出しており選手層の拡大が期待されたが、2003年大晦日の興行戦争(※)以来、K-1とは険悪な関係になり、猪木、百瀬は離反した。 (※DSEとフジテレビがPRIDE SPECIAL 男祭り 2003(開催地・さいたまスーパーアリーナ)、アントニオ猪木と日本テレビがイノキボンバイエ 2003 馬鹿になれ 夢を持て(開催地・神戸ウイングスタジアム)、K-1とTBSがK-1 PREMIUM 2003 Dynamite!(開催地・ナゴヤドーム)の三つ巴。)
2003年ミドル級GPが開催。桜庭和志、吉田秀彦らを破ったミドル級初代王者のヴァンダレイ・シウバが優勝に輝いた。
2004年4月からヘビー級GPが行われ、ミルコ・クロコップがケビン・ランデルマンに失神KO負け、小川直也はエメリヤーエンコ・ヒョードルにタップアウト負けするなど激しい試合が続いたが、8月の決勝戦は、無効試合となり優勝者は決まらず。
2004年12月31日、『PRIDE 男祭り 2004 -SADAME-』開催。マーク・ハントがそれまで無敗だったヴァンダレイ・シウバを下すなど大いに盛り上がる。メーンには再戦となったPRIDE GP決勝が組まれ、エメリヤーエンコ・ヒョードルがアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを下し、ヘビー級統一王座に輝いた。また、PRIDE GP 開幕戦の再戦となるミルコ・クロコップとケビン・ランデルマンの試合など、2004年に生じた因縁が解決するカード編成が好評だった。 また、同大会には国際レスリング連盟(FILA)のラファエル・マルティニティ会長と、日本レスリング協会の福田富昭会長がリング上より「FILAはアマチュアレスラーのプロ格闘技活動を公式に認め、今後協会よりオリンピックメダリストをはじめ、世界中の強豪レスラーをPRIDEに送りこむ」という内容の挨拶を行う。
2004年からはハッスルシリーズも2ヶ月に1回のペースで開催している。
2006年7月1日に、フジテレビのPRIDE地上波放送撤退後初めて興行が開催された(PRIDE 無差別級GP 2ndRound)が、会場の電飾がシンプルになり、また、選手紹介VTR(煽りVTRと呼ばれている)の作りが大味になるなど、フジテレビ撤退による影響が決して小さくはないことを伺わせた。しかし、2006年11月5日のPRIDE武士道では、10月31日付けでフジテレビを退社した元PRIDE地上波放送のチーフ・ディレクターの佐藤大輔と、ナレーターの立木文彦が復帰し、選手紹介VTRが以前のクオリティを取り戻した。
2007年3月27日、UFCを主催するズッファ社のオーナーであるロレンゾ・フェティータ氏に興行権を移管し、新会社「PRIDE FC WORLDWIDE」を設立することが発表された。4月8日のPRIDE.34がDSE体制として最後の興行となる。
このように状況は改善されつつあるものの、いまだ予断を許さない状況が続いている。
[編集] テーマ曲
PRIDEの大会テーマ曲は高梨康治の作曲による、開会式などで使用される「PRIDE」と、勝利時などで使用される「Victory」の2曲である。「PRIDE」はオフィシャルサイトの大会前の煽り映像にも使用されるなど、2曲はまさにPRIDEを形成する一部であるといえる。また、これらの曲を収録したCDも発売されている(2000年4月26日発売)。
フジテレビの中継放送のテーマ曲は、2005年の「PRIDE 男祭り 2005 -ITADAKI-」以前はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(RAGE AGAINST THE MACHINE)のアルバム「バトル・オブ・ロサンゼルス」収録曲の「ゲリラ・ラジオ(Guerrilla Radio)」であった。 2005年の「PRIDE 男祭り 2005 -ITADAKI-」から「THE LAST MAN STANDING」に変更されている。
[編集] テレビ中継
発足当初、高田延彦の希望で地上波でのテレビ放送が模索され、一時日本テレビで放送という話があったものの、SKY PerfecTV!のPPV放送に落ち着いた。現在もPPV重視はPRIDEの基本姿勢であるが、2004年から2006年まで一部の試合は試合当日ないしは同週の夜にフジテレビで録画放送されている。
DSEが発足したPRIDE.5からは東海テレビが全ての大会を中継するようになった。テレビ東京の格闘技番組『格闘コロシアム』、中京テレビの格闘技番組『夢格闘』(提供はDSE)、フジテレビの格闘技番組『SRS-DX』など各テレビ局でPRIDEの試合が放送されることがあったが、2000年にフジテレビが主催者として加わるようになると、PRIDEはフジテレビ系のコンテンツとなった。特に東海テレビは、PRIDE情報を扱うレギュラー番組『PRE-PRIDE』『PRIDE王』を作り続け、中継がゴールデン・プライムタイム以外の場合は、フジテレビとは別に独自の編集で中継番組を制作し、PRIDEを重要コンテンツとして取り扱った。
2006年6月5日、フジテレビはDSEとの契約を全面解除し、番組の放送を取りやめることを発表。そのため、フジテレビ系の地上波で放送されるはずであった武士道-其の十一-とハッスル・エイド2006(いずれもDSEがプロデュース)の放送がいずれも中止された。武士道-其の十一-に至っては、契約解除の前日に通常通りフジテレビスタッフによるスカパーのPPV放送および地上波用の撮影が行われていながら突然の中止となってしまった。また、東海テレビも追随を余儀なくされ、PRIDE情報を扱うレギュラー番組『PRIDE王』が休止となった。さらに、フジテレビがSKY PerfecTV!を運営しているスカイパーフェクト・コミュニケーションズの主要株主であったため、スカパーのPPV放送についても放送中止が一時懸念されたが、スカイパーフェクト・コミュニケーションズは放送継続を決定した。契約解除の理由については、守秘義務を理由に明らかにされていないが、フジテレビ広報部は「DSE内で放送を継続することが不適切な事象があったため、契約違反に該当する」と主張している。一方のDSEは6月8日に開いた会見で契約解除の理由は不明としながらも、「週刊現代」に「DSEに暴力団関係者の出入りがあったとの疑いがある」と報じられた事が契約解除の原因であろう、と推測しているが、DSEはこの報道内容について全面否定している。
地上波およびPPV放送以外では、過去の試合を取り上げて放送する「PRIDE REVIVAL」という番組が、J sports ESPNで、FIGHTING TV サムライでは「PRIDE武士道マガジン」という番組が放送されている。なおPRIDEは、全米・ブラジルでのPPV放送のみならず韓国・インドネシア・ロシア連邦・ヨーロッパの一部と世界各国で放送されており、PRIDE.32では全世界へ向けたインターネットによる有料配信も行なわれた。
[編集] インターネット配信
2006年にフジテレビの放送が契約解除されてからは、インターネットを通じた試合の配信が開始された。SKY PerfecTV!のPPV終了後に、デジタルメディアマート(DMM)による有料配信、さらにDMMによる有料配信が終わると、あっ!とおどろく放送局が無料配信する順序となっている。なお、PRIDE.34は「ShowTime」により独占ライブ配信される。
[編集] 実況・解説
KRS時代には、当時格闘技通信編集長だった朝岡秀樹や格闘技ライターの近藤隆夫、格闘家の中井祐樹などが務めた。DSE体制のPRIDE.5以降は、谷川貞治と高田延彦が主に解説し、実況はフジテレビと東海テレビのスポーツ実況アナウンサーが担当した。2002年2月からはタレントの小池栄子がキャスターとして登場した他、過去のゲストには、大槻ケンヂ、畑野浩子、長谷川京子などがいる。2003年に谷川貞治がFEG社長に就任したため降板した後は、主に高田延彦が解説を務め、PRIDEに出場している格闘家が時折ゲスト解説していた。
フジテレビの放送中止後は、解説を高田延彦と高阪剛、実況を矢野武、市川勝也が担当している。
アメリカ向けPPVの解説は格闘家のバス・ルッテンが行った。
[編集] フジテレビで放送していた時の番組スタッフ
- 総合演出 : 佐藤大輔
- プロデューサー : 滝澤美衣奈
- チーフプロデューサー : 清原邦夫
- 制作 : フジテレビスポーツ部
[編集] ルール
[編集] 試合形式
- 10分-5分-5分(インターバル2分)の3Rが一般的。ただし武士道は10分-5分(インターバル2分)の2R構成。通常の7m四方の正方形リング上で行われる。
[編集] 選手の服装
オープン・フィンガー・グローブ、マウス・ピース、ファウル・カップ、トランクスまたはスパッツを着用して試合をする。道衣やアマチュアレスリング用のシューズなどの着用を認めている。
[編集] 勝敗
KO、ギブアップ、TKO(レフェリー・ストップ、ドクター・ストップ、タオル投入)、反則、判定などにより決する。
[編集] 反則
「噛み付き」「目潰し」「頭突き」「金的」「髪の毛をつかむ」などの攻撃は禁止される。
- 噛みつき
- 目潰し 及び目突き
- 頭突き
- 金的攻撃
- 頭髪を掴む
- 手指を用いて気管を押しつぶす・喉をつかむなど喉へ対する直接的な攻撃(PRIDE.17で、トム・エリクソンがマット・スケルトンの喉を手の指で上から押さえつけるチョーク攻撃を行った際に、スケルトンが声帯損傷を負ったため、次大会から反則に追加された。なお、公式記録では「ギロチンチョーク」が決まり手と記載されている)
- 後頭部・延髄・脊髄への打撃攻撃(後頭部とは、頭の真後ろのことをいい、側面、耳の周りは後頭部とはみなさない)
- 頭部・顔面への肘打ち
- 故意にロープを掴んで離さない、また故意にロープに手、足を引っかけてはならない。上腕部分をロープに引っかける行為は即、注意とする。
- リング外へ逃げる
- 相手をリング外へ投げる
- 試合中、相手に対しダメージを与えると認められない無気力な攻撃、および膠着を誘発する動き
- 試合中の選手による非人道的な行為(尚、この行為に対して審判団は、試合中以外にも注意や警告を出すことができる)
※UFCルールはアメリカ合衆国ネバダ州のアスレチックコミッションが認可したルールに準じている。このため、ネバダ州で総合格闘技の大会を開く場合、PRIDEと言えどもUFCルールを採用することになる。
[編集] 階級
- ヘビー級
- ミドル級
- ウェルター級
- ライト級
[編集] 大会名などの一覧
- 詳細はPRIDEの大会一覧を参照
[編集] 選手
- 詳細はPRIDE選手一覧を参照
[編集] リングアナ
- ケイ・グラント(PRIDE GP 2000開幕戦から担当)
- 太田真一郎
- 村上ショージ(PRIDE.1から担当)
- 幸野善之(PRIDE武士道シリーズのみ)
- レニー・ハート(選手コール、PRIDE GP 2000開幕戦から担当)
- 立川談志(PRIDE.17のイゴール・ボブチャンチン対マリオ・スペーヒー戦のみ)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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