セクリタテア
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セクリタテア(ルーマニア語:Securitate)とは、共産政権下のルーマニアの秘密警察。組織上は内務省の傘下にあり、正式名称は国家保安部 (Departamentul Securitatii Statului) であった。
セクリタテアの特徴は、その職員が主として国営の孤児院出身者から構成されていたことであり、一般住民との接触はかなり制限されていた。ルーマニアはこの組織の下で徹底的な監視社会となり、「街中のカフェやレストランには必ず盗聴器が仕掛けられていた」と言われている程である。
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[編集] 歴史
セクリタテアは、他の東欧諸国の秘密警察と同様にソ連の協力者であったジョルジェスクにより創設された。1940年代~1950年代、セクタリテアは反革命勢力に対して大規模な弾圧を行った。1960年代~1970年代、スペインで「グレナダ」という仇名を得たワシレ・ゲオルゲがジョルジェスクの後を継ぎ、ゲオルゲは反体制派の尋問(拷問)に個人的に参加すらしていた。その後、ディンク、ヴラダ、ポープ、ポステルニク、ドラガッチャがセクリタテアの長官となった。
セクリタテアは、主として防諜、反体制派対策、ニコラエ・チャウシェスク大統領と側近の個人警護を担当していた。その外、ルーマニアには純粋な対外諜報機関である参謀本部情報局と対外情報部(Departamentul de Informatii Externe、略称DIE)が存在したにも拘らず、国外でも活動していた。国外でも秘密作戦(反体制派の除去など)のために、セクリタテアには「コンドル」グループが存在した。
1989年のルーマニア革命の時にはセクリタテアの職員はニコラエ・チャウシェスク大統領側に立ち、ブカレストでは救国戦線側の兵士との間に銃撃戦が発生した。革命後のルーマニアでは、民主化後の東欧諸国で最も厳しい旧体制に対する弾圧が行われ、元セクリタテア長官のディンク、ヴラダ、ポープ、同職員であったニク・チャウシェスク等、数百人の元職員が裁判にかけられた。最後の長官であるドラガッチャはハンガリーに亡命した。
また、体制崩壊後の法律により、元セクリタテア職員に対しては、公職禁止が導入された。元職員は、イスラエルの特務機関で働くか、極民族主義政党「大ルーマニア党」に避難したと考えられている。また、元職員のドゥミトレスクは、ドイツでルーマニア・ジプシー・マフィア「親衛隊」を率い、かつての同僚を引き込んでいた。
[編集] 機構
- 技術作戦総局
- 防諜局
- 監視局
- 第4局
- 第5局
- 内部保安局
- K局
- 捜査局
- 郵便検閲局
[編集] 歴代長官
- ジョルジェスク
- ワシレ・ゲオルゲ
- ディンク
- ヴラダ
- ポープ
- ポステルニク
- ドラガッチャ