ハンガリー
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- ハンガリー共和国
- Magyar Köztársaság
-
(国旗) (国章) - 国の標語 : なし
- 国歌 : 神よハンガリー人を祝福し賜え
-
公用語 ハンガリー語 首都 ブダペスト 最大の都市 ブダペスト 大統領 ショーヨム・ラースロー 首相 ジュルチャーニ・フェレンツ 面積
- 総計
- 水面積率世界第108位
93,030km²
0.7人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第80位
10,032,375人
108人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
22兆2,510億フォリントGDP(MER)
- 合計(2005年)世界第44位
1,071億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第48位
1,397億ドル
13,900ドル独立
- 日付オーストリア・ハンガリー帝国から
1918年10月31日通貨 フォリント(HUF) 時間帯 UTC +1(DST: +2) ccTLD HU 国際電話番号 36
ハンガリー共和国(ハンガリーきょうわこく)、通称ハンガリーは、東ヨーロッパの国。オーストリア、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロベニアに囲まれた内陸国で、平地が卓越する。ドナウ川などのヨーロッパの有名な川が通っている。首都ブダペストにはロンドンに次いで世界で2番目に地下鉄が開通した。
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[編集] 国名
正式名称はハンガリー語で Magyar Köztársaság(マジャル・ケスタールシャシャーグ)。通称 Magyarország(マジャルオルサーグ)。
公式の英語表記は Republic of Hungary、通称 Hungary。
日本語の表記は ハンガリー共和国、通称 ハンガリー。
ハンガリー語において、ハンガリー人もしくはハンガリーを指すMagyar は日本では「マジャール」と表記されることが多いが、これはおそらく英語の発音に基いた表記である。
ハンガリー語は母音の長短をはっきり区別する特性をもち、Magyar の語は全て短母音なので、ハンガリー語の発音に倣うならば「マジャル」という表記がもっとも近くなる。
歴史上では、ハンガリー王国は多民族国家であり、今日のハンガリー人のみで構成されていたわけではなかった。そのため、その他の民族とハンガリー民族を特に区別する際に「マジャル人」という表現が用いられることがある。
国際的に用いられる、「ハンガリー」「ウンガルン」と言った呼称は、ラテン語で「フン人のガリア」を意味したという説と、ハンガリー人の故地であるウラル山脈方面で活動しハンガリー人にも文化的影響を与えた遊牧民オノグルの名が訛ったという説があり、後者の説が有力視されている。文献によっては、前者の説を誤りと断定している。
[編集] 歴史
詳細はハンガリーの歴史を参照。
ハンガリーの国土はハンガリー平原と言われる広大な平原を中心としており、古来より様々な民族が侵入し、定着してきた。
古代にはパンノニアと呼ばれたこの地域は、ローマの属州イリュリクム、ローマ帝国の属州パンノニアを経て、ゲルマン人の激しい侵入を受け、5世紀にはフン族、6世紀にはアヴァールが東方からやってきて定着した。8世紀にはアヴァールを倒したフランク王国の支配下に移るが、9世紀に東方から新たにやってきた遊牧民ハンガリー人に征服された。
10世紀末に即位したハンガリー人の君主イシュトヴァーン1世は、西暦1000年にキリスト教に改宗し、西ヨーロッパのカトリック諸王国の一員であるハンガリー王国を建国した。ハンガリー王国はやがてトランシルヴァニア、ヴォイヴォディナ、クロアチア、ダルマチアなどを広く支配する大国に発展する。13世紀にはモンゴル帝国軍の襲来を受け大きな被害を受けた。14世紀から15世紀頃には周辺の諸王国と同君連合を結んで中央ヨーロッパの強国となった。
しかし、15世紀後半からオスマン帝国の強い圧力を受けるようになった。1526年には、モハーチの戦いに敗れ、国王ラヨシュ2世が戦死した。1541年にブダが陥落し、その結果、東南部と中部の3分の2をオスマン帝国、北西部の3分の1をハプスブルク家のオーストリアによって分割支配され、両帝国のぶつかりあう最前線となった。
オスマン帝国の軍事的に後退すると、1699年のカルロヴィッツ条約でハンガリーおよびハンガリー王国領のクロアチアやトランシルヴァニアはオーストリアに割譲された。ハンガリーにとっては支配者がハプスブルク家に変わっただけであり、たびたび独立を求める運動が繰り返された。1848年の3月革命では、コッシュート・ラヨシュが指導した独立運動こそロシア帝国軍の介入により失敗したが、オーストリアに民族独立運動を抑えるための妥協を決断させ、1867年にアウスグライヒ(和協)が結ばれた。これにより、ハプスブルク家はオーストリア帝国とハンガリー王国で二重君主として君臨するが、両国は外交などを除いて別々の政府を持って連合するオーストリア・ハンガリー帝国となった。
オーストリア・ハンガリー二重帝国の体制下、資本主義経済が発展し、ナショナリズムが高揚したが、第一次世界大戦で敗戦国となり、オーストリアと分離された。1920年に結ばれたトリアノン条約により、ハンガリーはトランシルヴァニアなど二重帝国時代の王国領のうち、面積で72%、人口で64%を失い、ハンガリー人の全人口の半数ほどがハンガリーの国外に取り残された。
戦間期のハンガリー王国では、ハプスブルク家に代わる国王が選出されないまま、ホルティ・ミクローシュが摂政として君臨したが、領土を失った反動から次第に右傾化した。第二次世界大戦では失地回復を目指して枢軸国側について敗戦、ソビエト連邦に占領された。
戦後のハンガリーは、ソ連の影響下のもと共産主義国ハンガリー人民共和国として再出発し、冷戦体制の中で東側の共産圏に属した。しかしソ連に対する反発も根強く、1956年にはハンガリー動乱が起こるが、ソ連に鎮圧された。
1980年代末になると、冷戦終結の機運とともに共産党(社会主義者労働党)独裁の限界が明らかとなった。1989年、ハンガリーは一党独裁を放棄して平和裏に体制を転換、憲法を改正して国名をハンガリー共和国とし、ハンガリーの民主化が進められた。同年5月、ハンガリーは西側のオーストリアとの国境に設けられていた鉄条網「鉄のカーテン」を撤去し、国境を開放した。これにより西ドイツへの亡命を求める東ドイツ市民がハンガリーに殺到、汎ヨーロッパ・ピクニックを引き起こし、冷戦を終結させる大きな引き金となった。
1990年代、ハンガリーはヨーロッパ社会への復帰を目指して改革開放を進め、1999年に北大西洋条約機構 (NATO)に、2004年に欧州連合 (EU)に加盟した。
[編集] 政治
ハンガリーは議院内閣制を取り、大統領は任期5年で議会によって選ばれるが、首相を任命するなど、儀礼的な職務を遂行するのみの象徴的な元首である。実権は首相にあり、自ら閣僚を選んで行政を行う。
立法府の議会(Országgyűlés)は一院制、民選で、任期は4年、定員は386人である。議会は国家の最高権威機関であり、全ての法は議会の承認を経なければ成立しない。主な政党は中道左派のハンガリー社会党(MSZP)(ハンガリー社会主義労働者党の後身)、自由民主同盟(SZDSZ)、中道右派のフィデス=ハンガリー市民同盟(FIDESZ-MPSZ)、キリスト教民主国民党(KDNP)、ハンガリー民主フォーラム(MDF)などがある。
[編集] 地方行政区分
ハンガリーは40の地方行政区分に区分される。うち19は郡とも県とも訳されるメジェ (megye) で、20はメジェと同格の市という行政単位(正確には都市郡; megyei város)。なお、首都のブダペスト市はいずれにも属さない、独立した自治体である。
- 西部
- ヴァシュ県 (ソンバトヘイ)
- ザラ県 (ザラエゲルセグ)
- ショモジ県 (カポシュヴァール)
- ヴェスプレーム県 (ヴェスプレーム)
- ジェール・モション・ショプロン県 (ジェール)
- 中部
- コマーロム・エステルゴム県 (タタバーニャ)
- フェイェール県(セーケシュフェヘールヴァール)
- ペシュト県(ブダペシュト)
- ノーグラード県 (シャルゴータールヤーン)
- 南部
- 東部
この県には以下の市町村が含まれる。 アバウイサーントー、ベケチ、ボドログケレスツル、ボドロゴラシ、ボドログセギ、エルデーベーニェ、エルデーホルヴァチ、ゴロプ、ヘルツェグクト、カーロリファルヴァ、レジェシュベーニェ、マード、メゼーゾンボル、モノク、オラスリスカ、オンド、ラートカ、シャーラジャダーニ、シャーロシュパタク、セギロン、セレンチ、タルカル、ターリャ、トカイ、トルチヴァ、ヴァーモシュイファル、ヴェーガルドーおよびシャートラリヒャウィヘリ市
旧ハンガリー王国の領土(大ハンガリー)に含まれた地域については、ハンガリー王国の歴史的地域を参照。
[編集] 地理
ハンガリーの国土はカルパティア山脈の麓に広がるカルパート盆地のうちの平野部をなす。ハンガリー平原またはハンガリー盆地と呼ばれる国土の中心は、中央を流れるドナウ川によってほぼ二分され、東には大きな支流のティサ川も流れている。国土の西部にはヨーロッパでも有数の大湖であるバラトン湖がある。また各地に温泉が湧き出ており、公衆浴場が古くから建設・利用されきた。ヨーロッパ有数の「温泉大国」であり、多くの観光客が温泉目当てに押し寄せる。 トランシルヴァニア地方など、ルーマニアとの国境係争地帯を持っている。
大陸性気候に属する気候は比較的穏やかで、四季もある。緯度が比較的高く、冬は冷え込むが、地中海から海洋性気候の影響を受け、冬も湿潤で、曇りがちである。年間平均気温は10度前後。
[編集] 経済
ハンガリーは1989年の体制転換以来、外国資本を受け入れて積極的に経済の開放を進めた。その結果、1997年以降年間4%以上の高成長を続けるとともに、2004年には経済の民間部門が国内総生産 (GDP) の80%以上を占め、「旧東欧の優等生」と呼ばれるほどである。2004年のEU加盟は、好調なハンガリー経済にとって追い風である。
その一方で、インフレーションと失業率が増加して貧富の差が広がり、社会問題となっている。また巨額の財政赤字も重要な課題であり、現政権が目標とするユーロ導入への見通しは立っていない。
伝統的な産業ではアルコールが強い。特にワインは有名で、ブルゲンラント、ショプロン、ヴィッラーニなど著名な産地があるが、中でもトカイのトカイワインはワインの王と言われる。農業ではパプリカが名産品で、ハンガリー料理にもふんだんに使われる。ガチョウの飼育も盛んであり、ドナウ川西岸(ドゥナーントゥール地方、Dunántúl)が主産地である。ハンガリー産のフォアグラもよく輸出されている。
[編集] 鉱業
ハンガリーの鉱業は、燃料に利用できる亜炭とボーキサイトが中核となっている。有機鉱物資源では、世界シェアの1.5%を占める亜炭(1391万トン、2002年)、原油(107万トン)、天然ガス(115千兆ジュール)を採掘する。有力な炭田は南東部ベーチ近郊、首都ブタペストの西方50kmに位置するタタバーニャ近郊の2カ所に広がる。油田は中央南部セゲド近郊と、スロベニア、クロアチア国境に接する位置にある。
金属鉱物資源ではボーキサイト(100万トン)が有力。バラトン湖北岸からブタペストに向かって北東に延びる山地沿いで採掘されている。ただし、採掘量は減少傾向にある(1991年には203.7万トンが採掘されていた)。この他、小規模ながらマンガンとウランの採掘も見られる。
[編集] ハンガリーの通貨単位の変遷
[編集] 国民
ハンガリーとその周辺は、独特の豊かな文化をもった様々な民族が居住していることが19世紀以来よく知られている。
ハンガリー共和国の国民の95%以上はハンガリー人である。ハンガリー人はフィン・ウゴル語族のハンガリー語を母語とし、ウラル山脈の方面から移ってきた歴史をもつため、「アジア系民族」と紹介されることもある。その文法構造のため、ハンガリー国民の人名は正式に表記した際に姓が名の前につく、ヨーロッパで唯一の国民である。
ハンガリー人は旧ハンガリー王国領に広まって居住していたため、セルビアのヴォイヴォディナ、クロアチア北部、スロバキア南部、ルーマニアのトランシルヴァニアなどにもかなりのハンガリー人人口が残る。また、ハンガリー人の中にはモルダヴィアのチャーンゴー、トランシルヴァニアのセーケイや、ハンガリー共和国領内のヤース、マチョー、クン、パローツなどの個性的な文化をもつサブ・グループが知られるが、ヤース人がアラン人の末裔、クン人がクマン人の末裔であることが知られるように、これらは様々な出自をもち、ハンガリー王国に移住してハンガリーに部分的に同化されていった人々である。
その他の民族では、ロマ(ジプシー)とドイツ人がある程度の数が知られる。ハンガリーのロマは個性的な民族文化で知られる。また、ドイツ人は東方植民地運動の一環としてハンガリー王国に移り住んできた人々の子孫で、トランシルヴァニアのサース人(ザクセン人)やスロヴァキアのツィプス・ドイツ人のようにハンガリー王国の中で独自の民族共同体を築いた人々もいる。
その他の民族では、ルテニア人(ウクライナ人)、チェコ人、クロアチア人、ルーマニア人などもいるが、いずれもごく少数である。第二次世界大戦以前には、ユダヤ人人口もかなりの数にのぼったが、アメリカ合衆国やイスラエルに移住していった人が多い。
言語的には、ハンガリー語が優勢で、少数民族のほとんどもハンガリー語を話し、ハンガリー語人口は98%にのぼる。
宗教はカトリック(67.5%)が多数を占め、カルヴァン派もかなりの数にのぼる (20%)。その他ルター派 (5%)やユダヤ教 (0.2%) も少数ながら存在する。
ハンガリー、フィンランドなどが黄色人種起源というのはこんにちでは俗説という考えが一般的である。かつて、そういう認識があったのは彼らが昔、彼らがウラル・アルタイ語族とされていたのが原因である。現在ではこの二つの語族のウラル語族とアルタイ語族は全く別の語族と考えられている。また、ハンガリー、フィンランド、エストニアなどのウラル語族はウラル山脈あたりにいたコーカソイド(白色人種)がフン族やモンゴル族などのモンゴロイド(黄色人種)の移動により玉突き式に欧州に移動してきたもので黄色人種説はほぼ否定されている。
参考データ 北方モンゴロイド特有の酒が飲めない下戸遺伝子 日本人 44% ハンガリー人 2% フィン人 0% 『科学朝日』 モンゴロイドの道 朝日選書 (523)
[編集] 文化
ハンガリーは多様な民族性に支えられた豊かな文化を持ち、特にハンガリー人の地域ごとの各民族集団(ロマなど)を担い手とする民族音楽は有名である(詳細はハンガリーの音楽を参照)。
また、リスト・フェレンツ(フランツ・リスト)、コダーイ・ゾルターン、バルトーク・ベーラなど多数の著名なクラシック音楽の作曲家も輩出した。多様な民族音楽にインスピレーションを受けて作曲した音楽家も多い。
ハンガリー国内にはユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件ある。オーストリアにまたがって1件の文化遺産が、スロバキアにまたがって1件の自然遺産が登録されている。詳細は、ハンガリーの世界遺産を参照。
[編集] 祝祭日
日付 | 日本語表記 | ハンガリー語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Újév | |
3月15日 | 1848年の革命と自由戦争記念日 | Nemzeti ünnep | 1848年の3月革命を記念 |
移動祝日 | イースターおよびイースター・マンデー | Húsvétvasárnap, Húsvéthétfő | |
5月1日 | メーデー | Munka ünnepe | |
移動祝日 | ペンテコステ | Pünkösd | 復活祭から50日後 |
8月20日 | 建国記念日(聖イシュトヴァーンの祝日) | Szent István ünnepe | |
10月23日 | 1956年革命、および共和国宣言の記念日 | Az 1956-os forradalom ünnepe, A 3. magyar köztársaság kikiáltásának napja | 現在のハンガリーでは1956年の動乱は革命と呼ばれている |
11月1日 | 諸聖人の日 | Mindenszentek | |
12月25日、26日 | クリスマス | Karácsony |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- ハンガリー政府公式サイト (ハンガリー語、英語、ドイツ語)
- ハンガリー大統領府公式サイト(ハンガリー語、英語)
[編集] その他
- 世界の国々 > ヨーロッパ
-
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