ブカレスト
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ブクレシュティ(Bucureşti)は、ルーマニア南部・ワラキアにある同国の首都。マジャル(ハンガリー)語ではブカレシュト(Bukarest)、ドイツ語ではブカレスト(Bukarest)、英語ではビューカレスト(Bucharest)という。日本では「ブカレスト」と呼ぶことが多く、以下「ブカレスト」と呼称する。
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面積 Metropolitan - Total |
228 km2 1,521 km2 |
人口 - 総人口(2002年) - 人口密度 |
2,354,510 1,548/km2 |
市長 | アドリアン・ヴィダヌ |
タイムゾーン | UTC+2 |
44° 25' N; |
目次 |
[編集] 地理
ブカレストは、ドゥンボビツァ川の支流コレンティナ川の沿岸にあり、市内にはフロレアスカ湖、テイ湖、コレンティナ湖など、いくつか湖がある。さらに、市中心部にはチシミジウ湖(Cişmigiu)という小さい人口湖がある。周辺には庭園や公園があり、著名な詩人・作家が訪れた。
ブカレスト市の面積は約226km2で、市は6つの行政区に分かれている。
近年まで、ブカレスト市は近郊の農村地帯も区域に含んでいたが、1989年に郊外地域がイルフォヴ郡となった。
[編集] 歴史
19世紀後半に、町の人口は劇的に増加した。
第一次世界大戦中の1916年12月6日に、町はドイツ軍によって占領され、首都はヤシに移転した。その後、連合軍によって1918年11月に奪還された。そして、新しいルーマニア王国の首都となった。
第二次世界大戦の間、ブカレストはアメリカ軍とイギリス軍の重爆撃機によって大きな打撃を受け、その後ルーマニアは連合国に降伏した。1945年11月8日には、共産主義者が君主制主義者の集会を鎮圧する事件が起きた。
1967年に就任したニコラエ・チャウシェスク大統領は、スピーレア教会、コトロチェニ修道院など中世から残る古い教会を含む多くの歴史的建造物を破壊し、無機質な社会主義的計画都市に代えていった。このような都市計画は1971年に北朝鮮の平壌を訪問した時にその着想を得たという。特に市民センターや議会宮殿などにそれが顕著に現れている。それでもいくつか歴史的な地区は残ったものの、かつて「東欧の小パリ」と呼ばれた美しい街並みの面影は殆どない。
その後、1989年のルーマニア革命で民主化されたが、経済は低迷し活気の無い街と化した。2000年代に入り、経済が回復し好調になると共に、町は近代化され、歴史的地域はかつての輝きを取り戻しつつある。
[編集] ブカレストで調印された条約
- 1812年5月28日、ブカレスト条約。これにより露土戦争は終結し、ベッサラビアがロシアに割譲される。
- 1886年3月3日、セルビアとブルガリアとの戦争が終結する。
- 1913年8月10日、第二次バルカン戦争終結
[編集] 人口
都市としての重要度が高まったこの2世紀の間に人口は大幅に増えた。これは、19世紀まで大部分が農民であり農村地域に暮らしていたルーマニア人が都会化してきたことにもよっている。
- 1800年: 32,000
- 1859年: 122,000
- 1900年: 282,000
- 1918年: 383,000
- 1930年: 639,000
- 1966年: 1,452,000
- 2000年: 2,300,000
2000年から2002年までのブカレストの平均余命は 73.1 歳で、ルーマニア人の平均値よりおよそ2年長い。
[編集] 経済
ブカレストは、ルーマニアにおいてもっとも高度に産業が発展している地域であり、人口はルーマニアの総人口の9%ほどだが、ブカレストの総生産はルーマニアのGDPの約21%を占める。ただし、ルーマニアの通貨レイは国際的に弱い通貨であり、ブカレストの総生産をEU諸国と比較するのは困難である。購買力に基づいて比較した場合、ブカレストの総生産は他のEU諸国の首都の約50%、ルーマニアの平均の約二倍である(ただし、他のルーマニアの都市と比べた場合、ほぼ同じである。)。[1] ブカレストの総生産が、ルーマニアのGDPの21%を占める、という事実と、ブカレストの人口から推定すると、一人あたりのGDPは16,300ドルになる、と見られる。[2]
[編集] 交通
ブカレストの交通ネットワークはルーマニア最大で、中東欧でも最大のものの一つである。ブカレストの交通は、以下の三つの占める割合が大きい。
[編集] 地下鉄
地下鉄はM1、M2, M3、M4と呼ばれる4路線からなり、総延長は63km、45駅からなる。平均駅間は1.5kmである。
[編集] 路線
- M1: Pantelimon-Dristor-Piaţa Unirii-Dristor
- M2: Pipera-Piaţa Unirii-IMGB 2
- M3: Industriilor-Piaţa Unirii-Pantelimon
- M4: Gara de Nord-1 Mai
[編集] 建設中の路線
地下鉄は現在リニューアルの時期にある。2002年から、ボンバルディア製のエア・コンディショナー完備の新しい高性能車両が導入された。また、各路線は延伸中である。M4線が2000年に開業し、 さらに1 Maiから北部のPajuraに延伸工事中である。M1線のNicolae GrigorescuからPolicolorを経由し、Linia de Centurăに分岐する路線が数年以内に開業する予定である。これにより、地下鉄は総延長70.8km、50駅となる。
また、Colentinaから市中心部を経由し、市南西部のDrumul Taberei地区に向かう路線が計画中である。さらに、将来的にはHenri Coand国際空港(現在はRATBのバスしか走っていない)に延伸する路線が計画中である。
ちなみに、もしブカレストに旅行する機会があり、地下鉄を利用するならば、あなたのPDAの為の究極な地下鉄ガイドが便利である。このプログラムで、二駅間の最短ルートを検索することができる。
[編集] バス及びトロリーバス (RATB)
1990年代には、ブカレストの交通システムは貧弱だと言われていたが、RATBはその当時からブカレストを回るのに効率的で便利な交通機関である。地下鉄と同じように現在リニューアルの時期にあり、東欧の中でも近代的で快適な交通機関の一つにしようとしている。特に、トロリーバスは新しい駅構内放送に一新しようとしている。
[編集] タクシー
ブカレストのタクシーは安価で手ごろな交通機関であるが、信頼できないタクシー会社も多い。1kmあたりの料金を確認したほうが良い。
[編集] 国鉄線 (CFR)
ブカレストでは、ルーマニア国営鉄道 (CFR) が通勤路線を走らせている。しかし、この路線ネットワークは全国規模で走っているため、非効率で不便である。国営鉄道はブカレストからSnagovに向かって走っており、都市型路線は走っていない。
[編集] ブカレストへのアクセス
[編集] 航空
タロム航空がアンリ・コアンダ国際空港から、ロンドン、パリ、マドリッド、ミュンヘン、ローマなどの都市に就航している。また、Angel Airlinesがバニャサ空港から国内線で就航している。
[編集] 鉄道
ルーマニアの国際列車の質は非常に高く、特にルーマニア・ハンガリー・ポーランドの鉄道会社が運行する列車の質は良い。これらのユーロシティ・ユーロナイトは、アラド経由でブダペストに向かう列車、ティミショアラ経由でベオグラードに向かう列車などがある。これらの料金は、欧米の基準より安い。
また、通勤用の都市と周辺の小さい街を結ぶ列車が走っているが、国際列車とは対照的に劣悪な状況である。
[編集] 観光および名所
[編集] 議会宮殿
ニコラエ・チャウシェスクが権力を誇示するために作らせた宮殿で、当時「国民の館」として知られた。床面積の広さはペンタゴンに次いで世界第2位の広さを持つ建造物である。
[編集] 農村博物館
1936年に設立され、10ヘクタールの敷地の中に、ルーマニア中から集められた272戸の実際の農家の建物を展示している。
[編集] 凱旋門
最初に作られたものは木製で、ルーマニアの独立(1878年)を記念して立てられた。このときは凱旋軍が門を通るために大急ぎで作られた。その後、第一次世界大戦後に同じ場所にまた木製のものが建てられ、現在の石造のものは1935年に完成した。
[編集] チシミジウ公園
チシミジウ公園はブカレストの中心地にある公園で、1847年にドイツ人建築家のカールF.Wによって設計された。
[編集] ルーマニア国立美術館
ルーマニア国立美術館の建物はかつての王宮の建物を使用し、ルーマニア王室のコレクションを中心に、中世、現代のルーマニア芸術や世界中の美術品のコレクションなど10万点以上の規模を誇る。現代ルーマニア芸術のコレクションではコンスタンティン・ブランクーシの彫刻などを特色としている。
[編集] その他の名所
- ルーマニア歴史博物館
- コレクション美術館
- ヘラストラウ公園
- 大学広場
- オボール市場
- 国立ユダヤ劇場
[編集] ブカレストが登場する作品
- 漫画『MASTERキートン』第18巻(浦沢直樹・勝鹿北星)