セテ・ジベルナウ
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セテ・ジベルナウ(Manuel Seté Gibernau Bultó、1972年12月15日 - )はスペイン・バルセロナ出身のモーターサイクル・ロードレーサー。なお日本語ではセテ・ジベルノーとも表記されているが、間違いである。祖父はスペインのモーターサイクルメーカーブルタコの創業者である。
ゼッケン番号は、元々前年のランキングの数字をつけていたが、2001年バレンシアGPで初優勝して以来、当時つけていたゼッケン15を好んで使うようになった。なお2003年当時のチームメイトで事故死した加藤大治郎のゼッケン74も革ツナギに貼っている。
2006年ロードレース世界選手権MotoGPクラスにドゥカティワークス・チームより参戦していたが、カタルーニャGP1周目の多重クラッシュで鎖骨を骨折するなど、度重なる負傷により本来の実力を発揮できずにシーズンを終える。
同年11月8日、現役引退を表明。
[編集] 戦績
- 1992年 - スペインジレラカップ125ccランキング2位
- ロードレース世界選手権GP250 スポット参戦(ヤマハ)
- 1993年 - スペイン選手権ドゥカドスオープン・250ccランキング5位
- ロードレース世界選手権GP250 スポット参戦(マルボロ・チーム・ロバーツ・ヤマハ)
- 1994年 - スペイン選手権ドゥカドスオープンランキング4位
- ロードレース世界選手権GP250 スポット参戦(マルボロ・チーム・ロバーツ・ヤマハ)
- 1995年 - スペイン選手権ドゥカドスオープンランキング3位
- ロードレース世界選手権GP250 スポット参戦(フォルトゥナ・ホンダ・ポンス)
- 1996年 - ロードレース世界選手権GP250ランキング22位(第1戦-第12戦・ホンダ、第13戦-第15戦・ヤマハ)
- 1997年 - ロードレース世界選手権GP500ランキング13位(ヤマハ・チーム・レイニー)
- 1998年 - ロードレース世界選手権GP500ランキング11位(レプソル・ホンダ)
- 1999年 - ロードレース世界選手権GP500ランキング5位(レプソル・ホンダ)
- 2000年 - ロードレース世界選手権GP500ランキング15位(レプソル・YPF・ホンダ)
- 2001年 - ロードレース世界選手権GP500ランキング9位(テレフォニカ・モビスター・スズキ)
- 2002年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング16位(テレフォニカ・モビスター・スズキ)
- 2003年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング2位(テレフォニカ・モビスター・ホンダ)
- 2004年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング2位(テレフォニカ・モビスター・ホンダ)
- 2005年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング7位(テレフォニカ・モビスター・ホンダ)
- 2006年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング13位(マルボロ・ドゥカティ)
[編集] 関連項目
- 加藤大治郎 (レーサー) 2003年のチームメイト。