セルゲイ・エイゼンシュテイン
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セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン(Сергей Михайлович Эйзенштейн,Sergei Mikhailovich Eisenstein,1898年1月23日、ユリウス暦1月10日-1948年2月11日)はソビエト連邦の映画監督。
モンタージュ理論を確立し自ら実行した人物で、映画史において極めて重要な人物の一人とされている。最も有名な映画作品は1925年の『戦艦ポチョムキン』である。未完に終わった3部作『イワン雷帝』(1944年)は彼の集大成とされている。
1930年代以前はレーニンからマルクス主義に貢献した一人としてイワン・パブロフと共に絶賛されたが、スターリン政権の誕生により作品の改変・廃棄を余儀なくされた。『イワン雷帝』は3部作として構想されたが、第1部(1944年)、第2部(1946年)のみ完成。第1部はスターリン賞を受賞したが、第2部はイワン雷帝と親衛隊の描写が批判され、上映禁止となる(上映は1958年)。そして、第2部の改作と第3部の製作を約束させられたが、その後は後進の指導に専念して製作を事実上放棄。1948年に心臓発作で死去。
[編集] 主な監督作品
- 戦艦ポチョムキン(1925年)(Броненосец Потёмкин)1904年に黒海で反乱を起こした戦艦ポチョムキンとその船員達を描いた映画史上屈指の名作。もっとも有名なのは反乱を支持しデモ行進をしていた民衆を、コサック兵が虐殺する「オデッサの階段」のシーンである。
- ストライキ(1925年)(Стачка)
- 十月(1928年)(Октябрь)レーニン率いるボリシェビキが権力を掌握した11月革命の模様が描かれる。この作品には実際に革命に参加した人々が多く参加しており、エイゼンシュテインの天才的な映像技術とともにそのリアリズムは際だっている。
- 全線(1929年)(Старое и новое)
- アレクサンドル・ネフスキー(1938年)(Александр Невский)
- イワン雷帝・第1部(1944年)(Иван Грозный)現在のロシアの基礎を築いたイヴァン4世を描いた作品。第一部はイヴァンの英雄としての側面が強調されており、スターリンの評価を得た。ちなみに第二次大戦前に訪ソした二代目市川左團次の歌舞伎初の海外公演をエイゼンシュテイン自身鑑賞しており、全編に様式美があふれ、イヴァン4世が歌舞伎特有の見得をするなど歌舞伎の影響を見てとることができる(歌舞伎の「見得」を初めて見たエイゼンシュタインは左團次に「歌舞伎の見得は映画の技法でいうクローズ・アップだ」と感想を述べており彼の感性の鋭さを端的に現したエピソードである)。
- イワン雷帝・第2部(1946年)・・・・・ラストシーンのみカラーフィルムを使用。第二部は疑心暗鬼に駆られたイワンが貴族達を粛清する様が描かれる。当時の大粛清を彷彿とさせる設定に、スターリンは激怒した。
- メキシコ万歳(1979年)・・・・・1930年にハリウッド資本からの招聘を受けその資本で製作が開始されたが、製作姿勢や方針の意見相違などから製作が中断されそのまま放棄された(ただし、その一部はエイゼンシュテインの許可無く独自の編集が施され1933年に『メキシコの嵐』としてアメリカで公開されている)。その後、当時助監督を務めていたグリゴリー・アレクサンドロフ が撮影済みフィルムをかき集めエイゼンシュテインのシナリオやコンテに基づいて再編集し、シーンに合わせた音楽を付けたサウンド版として1979年に公開された。