ゼップ・アレルベルガー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨーゼフ・“ゼップ”・アレルベルガー (Josef "Sepp" Allerberger, 1924年10月 - ?) は、ドイツ(オーストリア)の軍人、狙撃手。独軍第3山岳師団に所属し、第2次世界大戦中の東部戦線で、公式戦果として257名のソ連兵を殺害したドイツ軍エーススナイパーの一人。
[編集] 略歴
1924年、シュタイエルマルク(ザルツブルクとも)で生まれる。1938年のドイツとオーストリアの併合後、1942年に18歳でドイツ国防軍に入軍。東部戦線に赴く。
ソ連領スタヴロポリでの戦闘で負傷するがその治療中に、鹵獲されていたソ連軍の狙撃銃の試射・分析を担当。その銃を手に戦場へ戻ると、27名の敵兵を射殺して上層部に狙撃手としての適性を示し、ゼータラーアルプスの狙撃手養成所で頭角を現した。
新たな愛銃、K98(6倍スコープを装着)を手に再び東部戦線に復帰したアレルベルガーは、悪化する戦況の中で獅子奮迅の活躍を見せ、1945年の終戦までに通算257名の赤軍兵士を射殺した。これはマティアス・ヘッツェナウアーに次ぐ独軍第2位の記録であるとされる。※
これらの活躍により鉄十字勲章(1級および2級)、黄金(1級)狙撃手徽章等数々の勲章を得る。さらに1945年4月にはフェルディナント・シェルナー元帥により騎士十字章を受勲するも、その翌月にドイツの敗戦を迎え、3年の軍歴にピリオドを打った。最終階級は伍長。
その後はほとんど表舞台でその名を聞くことは出来なかったが、2005年に出版された“Sniper on the Eastern Front: The Memoirs of Sepp Allerberger, Knight's Cross”(著者:Albrecht Wacker、ISBN 1-84415-317-7)というアレルベルガーへのインタヴューを主にして構成された書籍が、大戦中にソヴィエト軍兵士がドイツ軍捕虜に対して行ったとされる苛烈な拷問や、食人行為について写真付きで触れていることが一部で波紋を呼んでいる。
なお、彼の生没年は定かではなく、2006年現在存命中の可能性もある。
※エルヴィン・ケーニッヒ(ハインツ・ソルバルドとも)は400名以上を射殺したと言われているが、公式な記録が残っていない為、ソ連のプロパガンダの一つとして作成された架空の人物である可能性がある(ソ連側はドイツ軍が英雄の死を隠蔽して、兵士の士気低下を防ごうとしたと主張している)。
[編集] 逸話
アレルベルガーは都市型迷彩を施した傘をカモフラージュに狙撃を行っていたという逸話を本人が明らかにしている。シルエットを壊す(人体の輪郭を崩して標的として認識し辛くさせる)効果は高かったらしい。
カテゴリ: ドイツ第三帝国の軍人 | 狙撃手