アルプス山脈
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アルプス山脈(アルプスさんみゃく、仏:Alpes, 伊:Alpi, 独:Alpen, 英:Alps)は、アルプス・ヒマラヤ造山帯に属し、ヨーロッパ中央部を東西に横切る『山脈』である。オーストリアを東端とし、スロベニア、イタリア、スイス、リヒテンシュタイン、ドイツを経由してフランスに至る。詳細には、幾つかの山脈に細分される。 最高峰のモンブランは標高4,810mで、フランスとイタリアの国境をなし、ヨーロッパの最高峰[1]でもある。
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[編集] 概要
アルプスは、モンブランの他、マッターホルン、ユングフラウなどの高峰を有し、最高部は氷河に覆われる交通の難所である。しかしイタリアよりヨーロッパ各地域へ通じる要路に位置するため、戦争、交易、中世には巡礼、大学生、近世においてはまた各地を見物するための旅行者など、多くのものがアルプス越えを行った。古代から中世にかけて主に用いられた峠を西から列挙すれば、サンプロン峠(シンプロン峠と読まれることが多い)、ジュネーヴ山越えの道、グラン・サン・ベルナール峠、シュプルーゲン峠、ゼプティマー峠、ブレンナー峠、ラートシュタッター・タウラーン峠、ゾルクシャルテ峠、プロッケン峠、ポンテッバー峠(別名をザイフニッツ峠)である。歴史を通じて最も多用されてきた峠はジュネーヴ山越えの道およびブレンナー峠であるが、各時代によって、愛用される峠は若干異なる。
なおこれらの峠のうち幾つかの下には、近代に至ってトンネルが掘削され、各国国境をまたがる鉄道線路および自動車道路が敷設されている。
アルプス越えをした有名人は多いが、そのうち最もよく言及されるのは古代カルタゴのハンニバル・バルカによるアルプス越えであろう。ハンニバルが実際に通った場所がどこだったかについてはいまだに定説がない。またナポレオン1世がイタリアを攻略した時のアルプス越えも知られている。このときナポレオンは自らをハンニバルになぞらえて鼓舞したという。なお、ナポレオンがイタリア攻略の際のアルプス越えで利用したのは、グラン・サン・ベルナール峠である。このアルプス越えの時のナポレオンの雄姿(白馬に騎乗した姿)を、ナポレオンに仕えた宮廷画家のジャック=ルイ・ダヴィッドが、「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」として描いている。
近世後期より、アルプス山脈の各高峰に挑む登山家が現れた。また現在は冬はスキーなどウィンタースポーツの好適地として、夏は避暑地として多くの観光客を集める。スキー種目のうち滑降競技の別名「アルペン競技」の名はアルプスに由来する。アルプス山脈の山麓および山中の都市は、しばしば冬季オリンピックの開催地となっている。
[編集] 主要峰
- モンブラン (4,807m) - ヨーロッパ最高峰、フランス最高峰、イタリア最高峰
- モンテ・ローザ (4,609m) - スイス最高峰
- マッターホルン (4,478m)
- グランド・ジョラス (4,208m)
- ユングフラウ (4,158m)
- グラン・パラディーゾ (4,061m)
- アイガー (3,975m)
- グロスグロックナー (3,798m) - オーストリア最高峰
- ツークシュピッツェ (2,962m) - ドイツ最高峰
- トリグラフ (2,864m) - スロベニア最高峰
[編集] 関連項目
- オーストラリアアルプス山脈
- ディナルアルプス山脈
- トランシルヴァニアアルプス山脈
- 日本アルプス (北アルプス、南アルプス、中央アルプス)
- アルプス山脈 (月) - 月面上に存在する山脈。雨の海の北東に位置する。
- アルプスの少女ハイジ
- チロル州観光局日本担当オフィス公式サイト(日本語)