ダグラス・フェアバンクス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダグラス・フェアバンクス(Douglas Fairbanks、出生時の本名はJulius Ullman、1883年5月23日 - 1939年12月12日)は、アメリカ合衆国の俳優、脚本家、映画監督、映画プロデューサーである。コロラド州デンバー出身。カナダ出身の女優で「アメリカの恋人」と呼ばれたメアリー・ピックフォードは元妻。息子のダグラス・フェアバンクスJr.も俳優。
息子と区別する為、ダグラス・フェアバンクス・シニア(Douglas Fairbanks Sr.)と表記する場合もある。
[編集] 経歴
1915年に『快男子』(原題:The Lamb、監督:クリスティ・キャバンヌ、脚本:D・W・グリフィス)で、映画デビュー。
人気俳優となり、映画製作会社フェアバンクス・ピクチャーズの設立を経て、1919年にD・W・グリフィス、チャールズ・チャップリン、メアリー・ピックフォードと共にユナイテッド・アーティスツ社を設立した。同時に映画俳優としても活躍し、『怪傑ゾロ』や『ロビン・フッド』などのヒーロー役で絶大な人気を得る。
1927年に映画芸術科学アカデミーの初代会長に就任し、名実共にアメリカ映画界のトップに君臨。
1931年には映画監督として『八十日間世界一周』を原作とした『ダグラスの世界一周』(原題:Around the World in 80 Minutes with Douglas Fairbanks)をヴィクター・フレミングと共に監督。なお、この頃ロサンゼルスオリンピックの金メダリストの西竹一男爵と親交があった。
映画プロデューサーとしても息子のフェアバンクスJr.主演の作品を製作していたが、1939年、カリフォルニア州サンタモニカにて心臓発作で死去。その功績をたたえてハリウッド・ウォーク・オブ・フェームには、息子のフェアバンクスJr.と共に名前が刻まれている。
[編集] 主な作品
- 快男子 (1915)
- 暗雲晴れて (1919) 脚本・制作も
- 奇傑ゾロ (1920) 脚本も
- ロビン・フッド (1922)
- バグダッドの盗賊 (1924)
- じゃじゃ馬馴らし (1929)
- 月世界征服 (1930) 制作も
- ロビンソン・クルーソー (1932) 脚本も
- ドン・ファン (1934)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国の俳優 | アメリカ合衆国の脚本家 | アメリカ合衆国の映画監督 | アメリカ合衆国の映画プロデューサー | コロラド州の人物 | 1883年生 | 1939年没