アカデミー賞
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アカデミー賞(Academy Awards)は、アメリカ映画の健全な発展を目的に、監督、俳優、スタッフを表彰し、その労と成果を讃えるための映画賞。
アカデミー賞は授賞式前年の1年間にアメリカ国内の特定地域で公開された作品を対象に選考され、また映画産業全般に関連した業績に対して授与される。選考はアメリカの映画産業従事者の団体、映画芸術科学アカデミー(AMPAS)の会員の投票によりなされる。国際映画賞ではなく基本はアメリカ映画を対象にした賞であるが、その知名度は「世界三大映画祭」の各賞以上に大きく影響力は巨大で、受賞結果が各国の興行成績に多大な影響を与えることで有名。このため日本をはじめ各国では、『アメリカ映画の~』という表現を抑えて『映画界最高の栄誉』などと、あたかも世界一の映画賞のように報道されることも多い。
1929年5月16日に第1回、2006年3月5日に第78回アカデミー賞が授与された。第79回アカデミー賞は2007年2月25日に催された。ちなみに基本的に前年の作品が対象となるため、例えば2006年に開催されたアカデミー賞を2005年度などと表示することが慣例である。なお、テレビ中継はアメリカの放送局、ABCで放送され、日本ではWOWOWで放送される。
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[編集] アカデミー賞の特色
[編集] アメリカ映画の祭典
アカデミー賞は、前年の1年間にノミネート条件(ロサンゼルス郡内の映画館で連続7日以上の期間、有料で公開された40分以上の長さの作品で、劇場公開以前にTV放送、ネット配信、ビデオ発売などで公開されている作品を除く、など)を満たした映画作品について、後述の映画芸術科学アカデミー会員による無記名投票によって選出された作品に所定の賞を授与する映画祭である。
「アメリカ映画の祭典」という冠詞を付けられることが多い事からも分かるとおり、基本はアメリカ映画を対象とした映画祭であり、その抜群の国際的な知名度に反して国際映画祭ではなく、「世界三大映画祭」にも含まれない。
[編集] ハリウッドの内祝
投票権を持つ映画芸術科学アカデミー会員は、下記のとおり大部分がハリウッドの業界関係者による編成であり、各賞の投票についても、例えば「アカデミー監督賞」であればハリウッドで働く映画監督の会員がノミネート作品選定に投票するなど、賞に応じた業務に携わる会員が担当する(なお、作品賞のノミネートおよび各賞ノミネート発表後の本選の投票は全会員が行うことができる)。
従って受賞作品の選考は、公平な第三者の視点ではなく、業界内から同業者の仕事について評価するというスタンスで行われるのが、アカデミー賞最大の特徴。すなわちハリウッド人が、過去1年間に最も顕著な業績を残したハリウッドの同僚を讃えるという、仲間内の「内賞趣意賞」と言うべき性格を持った賞なのである。
作品の選考についても、アメリカの国情や世相などが色濃く反映され、必ずしも芸術性や作品の完成度の高さでは選ばれない。例えば「カンヌ映画祭」などの著名な国際映画祭で大賞を受賞した作品が、アカデミー賞では指し名にも上がらないことが多いのは有名。故に、どうしても選出作品の足並みが揃ってしまう他の国際映画祭では見られない、独特の傾向と盛り上がりを見せる映画祭である。
[編集] 英語以外の映画の扱い
アカデミー賞は「アメリカ映画の祭典」と銘打ってはいるものの、前記ノミネート条件を満たしていれば、英語音声以外で公開される映画であっても作品賞を含む本賞にノミネートされたり、あるいは受賞したりということは可能である。(但し実際には、ハリウッドの業界人が選出するというシステム上、純粋な外国映画はノミネートはされても受賞に至ったことは少ない。)
アメリカ国外製作の非英語作品の場合は、各国の映画業界が映画芸術科学アカデミーに推薦する形で「外国語映画賞」にエントリーされる。
「外国語映画賞」の第1回は、1946年の第19回で「特別賞」に選出されたイタリア映画の『靴みがき』。もっとも、この時点で「外国語映画賞」という賞は存在せず、「どの賞にも属さないが、表彰するに値する作品」につき、様々な理由をつけて送られていた「特別賞」の一つであった。ちなみに『靴みがき』の選出理由は、「敗戦国であるイタリアが、創造精神を駆使して、敗戦の逆境を跳ね返す作品を作り出したこと」であった。翌年に、「この年に公開された最も優れた外国語映画」という理由からフランス映画『聖バンサン』が選出され、外国語映画賞の母体的な選考理由がここに初めて誕生、以後同選考基準によって、米国内で公開された優れた外国語映画が1本、選出されるようになる。
「外国語映画賞」という正式な賞として、これまでの特別賞から独立したのは1956年(同年の受賞作はイタリア映画『道』)からで、同年から各国推薦の作品を5本厳選してノミネートし、うち1本に賞を授与するという、現在のスタイルが完成した。
一方、アニメーション作品など特定ジャンルの作品は、当該ジャンルの規定に沿った賞の対象となる(アニメーション作品で長編のものなど)が、作品賞を含む他の各賞の条件も満たしていればそれら各賞の選考対象にもなりうる。
[編集] 映画芸術科学アカデミー
アカデミー賞選考の権利を保有する映画芸術科学アカデミー (Academy of Motion Picture Arts and Science)は、映画の芸術・科学の発展を図るため、ハリウッドの映画業界関係者を中心にして1927年に創設された団体。1929年以来、毎年アカデミー賞の授与を行っている。
アカデミーには2003年現在、5816人の投票権のあるメンバーがおり、そのうち俳優が1311人で、最も大きなグループである。一方、映画評論家や新聞関係者などの第三者的な会員は少ないのが特徴。
[編集] 第1回授賞式の様子
もともとアカデミー賞の授賞式は、同団体の夕食会の一環として始まった。第1回はロサンゼルスにあるルーズベルトホテルで行われた夕食会の際に舞台上で、あらかじめ決められていた受賞者を招待して賞を贈与された。(当初はオスカー像ではなく、同様のデザインを施した楯が送られた。)第1回授賞式で、『第七天国』で女優賞を受賞したジャネット・ゲイナーによれば、「これからも互いにいい仕事をして頑張りましょうという程度の、ちょっとした内輪の集まりだったのよ」と当時の様子を振り返っているとおり、授賞式は5分程度で簡単に済まされていた。
[編集] 賞金とオスカー像
アカデミー賞は受賞すると、賞の名称を刻印した金メッキの人型の彫像が送られ、賞金の類は一切付録しない。
この像は別名「オスカー」というニックネームで呼ばれている。その名前の由来は、アカデミーの事務員マーガレット・ヘリックがその彫像が机に置かれているのを見て「おじさんのオスカーにそっくりだわ」といったことや、ベティ・デイビスが受賞した際に、夫に向かって「オスカー(夫の名)、やったわよ」と壇上から叫んだことなど、諸説が数多くある。詳細はオスカー像を参照のこと。
[編集] 受賞情報の管理とプレゼンター
各受賞結果については1ヶ月弱前には決定するが、結果は厳重に封印されて、大手会計事務所の「プライスウォーターハウスクーパーズ」の金庫に保管され、結果書類は当日、事務所の職員2人が会場に直接持ち込む。(生中継では、会場に入っていく会計事務所の職員が映されることもある。)賞の授与担当プレゼンターがステージで開封するまで、外部へは一切知らされない。
受賞結果について、当初は報道の関係上マスコミには事前通達してあったが、『風と共に去りぬ』が作品賞を受賞した1939年、一部新聞が主宰者との協定を破って前日に抜け駆け報道をした事案が発生したことから、翌年より前記会計事務所の管理するシステムとなり、今日に至る。
主演男女・助演男女の各賞のプレゼンター(賞の授与者)は、基本的に前年度の受賞者が反対の性の賞(前年の主演男優賞受賞者が翌年の主演女優賞)に対して行うことが慣例となっているが、支払われるギャランティはなく、あくまでも無償奉仕である。
監督賞プレゼンターを、第66回のクリント・イーストウッド、第67回のスティーヴン・スピルバーグ、第68回のロバート・ゼメキス、第69回のメル・ギブソンのように、前年度の受賞者が担当したことがあった。
[編集] アカデミー賞の名称
「Academy Awards(アカデミー賞)」は商標登録されており、無許可で使用することは出来ない。日本の「日本アカデミー賞」やイギリスの「英国アカデミー賞」などは、ロイヤリティを支払ってその名の使用許可を得ている。一方香港最大の映画祭「香港電影金像獎」は、本来の名称よりも「香港アカデミー賞」の俗称のほうが有名であるなど、アカデミー賞の権威は非常に高い。
また、例えば料理や建築、文学や美術などさまざまな映画以外の賞においても、「○○界のアカデミー賞」という具合に、その権威の高さを表す冠詞として扱われることが多い。音楽出版社の音楽之友社が主催する、優れたクラシック音楽ディスクに贈られる年間賞は、その名もずばり「レコード・アカデミー大賞」である(商標権をクリアしているかどうかは不明)。
[編集] アカデミー賞の部門
賞はいくつかの部門に分かれている。
- 作品賞 (1928年~)
- 初期はドラマ部門、喜劇部門など、現在のゴールデン・グローブ賞のように、内容によって別れていた。当初はノミネートが10作品も選出されたが、第17回(1944年)から現行の5本選考のスタイルとなる。
- 主演男優賞(1928年~)
- 主演女優賞(1928年~)
- 助演男優賞(1936年~)
- 助演女優賞(1936年~)
- 長編アニメ賞(2001年~)
- 美術賞(1928年~)
- 撮影賞(1928年~)
- 衣裳デザイン賞(1948年~)
- 監督賞(1928年~)
- 長編ドキュメンタリー映画賞
- 短編ドキュメンタリー映画賞
- 編集賞(1935年~)
- 外国語映画賞(1947年~)
- メイクアップ賞(1981年~)
- 歌曲賞(1934年~)
- 作曲賞(1934年~)
- 短編アニメ賞(1931年~)
- 短編映画賞
- 録音賞(1930年~)
- 音響編集賞(1963年~)
- 視覚効果賞(1939年~)
- 脚色賞(1928年~)
- 脚本賞(1940年~)
[編集] 特別賞
本賞以外に、『表彰に値する顕著な功績のあった者』に対して贈与される賞全般を指す。毎年必ず選出されるわけではなく、該当者が存在する場合に設定されている。これらの賞には定まった賞の名称はなく、単に「特別賞」として贈与されるものや、「名誉賞」の名称で贈与されるものもある。なお、特定の条件を満たした者は、特別賞枠内に設定された下記のような特定の賞が贈与される。
- 映画業界に顕著な功績のあったプロデューサーに対して贈られる賞
- 長年にわたり映画業界全体の発展に顕著な功績のあった人物に対して贈られる賞
- ゴードン・E・メイヤー記念賞
- 映画業界に技術面で顕著な功績のあった技術者に対して贈られる賞
最近では、アメリカのスタントマンが在籍している団体が、スタントマン部門賞を設立してほしいという嘆願を出している。
[編集] 日本に関係した受賞・ノミネート歴
- 1951年(第23回) - 『羅生門』(黒澤明監督作)が名誉賞(現在の外国語映画賞)を受賞。同作では、松山崇も美術賞にノミネート。
- 1954年(第26回) - 『地獄門』(衣笠貞之助監督作)が名誉賞、同作で衣装デザインを担当した和田三造が衣装デザイン賞をそれぞれ受賞。
- 1955年(第27回) - 『宮本武蔵』(稲垣浩監督作)が名誉賞を受賞。甲斐荘楠音が衣装デザイン賞にノミネート。
- 1956年(第26回) - 『七人の侍』(黒澤明監督作)で江崎孝坪が衣装賞、松山崇が美術賞にそれぞれノミネート。
- 1957年(第29回) - ナンシー梅木が映画『サヨナラ』で助演女優賞を受賞。助演男優賞には『戦場にかける橋』で早川雪洲がノミネート。外国語映画賞でも『ビルマの竪琴』(市川崑監督作)がノミネート。
- 1961年(第34回) - 『永遠の人』(木下恵介監督作)が外国語映画賞にノミネート。また、村木与四郎も『用心棒』で衣装デザイン賞にノミネート。
- 1963年(第36回) - 『古都』(中村登監督作)が外国語映画賞にノミネート。
- 1964年(第37回) - 『砂の女』(勅使河原宏監督作)が外国語映画賞にノミネート。
- 1965年(第38回) - 勅使河原宏が『砂の女』で監督賞にノミネート。また、『怪談』(小林正樹監督作)が外国語映画賞にノミネート。
- 1966年(第39回) - マコ岩松が『砲艦サンパブロ』で助演男優賞にノミネート。また、黛敏郎が『天地創造』で作曲賞にノミネート。
- 1967年(第40回) - 『智恵子抄』(中村登監督作)が外国語映画賞にノミネート。
- 1970年(第43回) - 『トラ・トラ・トラ!』で佐藤昌道と姫田真左久と古谷伸が撮影賞に、井上親弥が編集賞に、村木与四郎と川島泰造が美術賞にそれぞれノミネート。
- 1971年(第44回) - 『どですかでん』(黒澤明監督作)が外国語映画賞にノミネート。
- 1972年(第45回) - キヤノンの向井二郎、広瀬隆昌が映画用マクロズームレンズの開発により科学技術賞を受賞。
- 1975年(第48回) - 黒澤明監督作品の『デルス・ウザーラ』がソ連代表として、外国語映画賞を受賞。日本からの出品作『サンダカン八番娼館・望郷』(熊井啓監督作)も候補になる。また、キヤノンの鈴川博が科学技術賞を受賞。
- 1980年(第53回) - 『影武者』(黒澤明監督作)が外国語映画賞と美術賞(村木与四郎)にノミネート。
- 1981年(第54回) - 小栗康平監督作品『泥の河』が外国語映画賞にノミネート。また、映画用高感度カラーネガフィルムの開発により富士写真フイルム(現在の富士フイルムホールディングス)が科学技術賞を受賞。
- 1985年(第58回) - 日本映画である『乱』が全4部門で候補になり、その内ワダ・エミが衣装デザイン賞を受賞。その他、黒澤明が監督賞に、斎藤孝雄と上田正治と中井朝一が撮影賞に、村木与四郎と村木忍が美術賞にそれぞれノミネート。
- 1987年(第60回) - 坂本龍一が『ラストエンペラー』で作曲賞を受賞。
- 1990年(第62回) - 黒澤明が特別名誉賞を受賞。
- 1992年(第65回) - 石岡瑛子が『ドラキュラ』で衣装デザイン賞を受賞。
- 1998年(第71回) - 伊比恵子がドキュメンタリー短編部門賞を受賞。
- 2002年(第75回) - 宮崎駿のアニメ映画『千と千尋の神隠し』が長編アニメ賞を受賞。また、短編アニメ賞には山村浩二の『頭山』がノミネート。
- 2003年(第76回) - 渡辺謙が『ラストサムライ』で助演男優賞にノミネート。また、山田洋次の『たそがれ清兵衛』が外国語映画賞にノミネート。
- 2004年(第77回) - 宮城島貞夫がゴードン・E・ソーヤー賞を受賞。
- 2005年(第78回) - 宮崎駿のアニメ映画『ハウルの動く城』が長編アニメ賞にノミネート。
- 2006年(第79回) - 菊地凛子が『バベル』で助演女優賞にノミネート。また、メイクアップアーティストの辻一弘も『もしも昨日が選べたら』でメイクアップ賞にノミネート。アメリカ映画ではあるが、日本側の視点で硫黄島の戦いを描いた『硫黄島からの手紙』が作品賞にノミネート。日本語による作品が作品賞候補になったのは史上初。
[編集] 関連項目
- オスカー像
- ウルフギャング・パック
- ビリー・クリスタル
- ハリウッド
- 映画の賞
- 日本アカデミー賞
- 英国アカデミー賞
- ゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)
- セザール賞(フランス版アカデミー賞)
- アカデミー
- コダック・シアター
[編集] 外部リンク
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