ダーク・エージェント
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ダーク・エージェントは、日本のプロレス団体であるプロレスリング・ノアに登場するプロレスラーのユニットの名称。略称はD・A。
[編集] 概要
当初スターネスに加入し、秋山準とのタッグでGHCタッグ王座を獲得するなど活躍していた斎藤彰俊だったが、2004年7月にスターネスを脱退。その後、同じ中堅選手でありながら日の目を見なかった井上雅央とタッグチームを結成、同年9月、日本武道館で三沢光晴・小川良成の持つGHCタッグ王座に挑戦することを表明した。
このタッグチームに関し、プロレスリング・ノア中継にて名称を公募したのだが、送られてきたものは「いつもここまで」や「イブニング息子。」など、明らかにウケ狙いのものが大半を占め、斎藤が納得するものが無かった。その為、斎藤自身が闇の代理人となる、ということで「ダーク・エージェント」と命名。
以後、杉浦貴も加入し、闇の布教に努めた。その一環が「小橋建太をD・Aに入れる」という無茶なものであり、ダーク引越しセンターと銘打ったD・Aが、小橋そのものを梱包、「われもの注意」などのステッカーを小橋に貼った。斎藤曰く「三沢社長に怒られるのを覚悟でやった」そうである。
川畑輝鎮がD・Aに入りたがっていたが、斎藤が認めなかったため、以後ずっとストーカー行為をしていた。泉田純至との「スターネス、ダーク・エージェント加入マッチ」にも破れ、そのまま「見習い」「ダーク引越しセンター下請け業者」の立場で仮加入していたが、2006年1月、晴れて軍団入りとなった。
伸び悩むノアの中堅層に刺激を与えるために結成した組織であり、斎藤自身はもっと「怒り」を前面に押し出した活動をしたい腹であるが、四天王プロレスの流れを汲む現在のノアのスタイルの中で徹底的なヒールファイトは受け入れられない環境であるため、笑いを取るアピールに精を出しているのが現状である。
2007年斎藤はKENTA、川畑は志賀、杉浦は丸藤、井上は田上とタッグを組むようになる。
[編集] 構成員
- 齋藤彰俊
- 井上雅央
- 杉浦貴
- 川畑輝鎮
- 準構成員
- 越中詩郎
- バイソン・スミス