小川良成
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小川良成 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 小川良成 |
本名 | 小川良成 |
ニックネーム | テクニシャン ゼブラ 翔龍戦士 |
身長 | 180cm |
体重 | 90kg |
誕生日 | 1966年11月2日 |
出身地 | 茨城県取手市 |
所属 | プロレスリング・ノア |
スポーツ歴 | 野球 |
トレーナー | ジャイアント馬場 天龍源一郎 ハル薗田 |
デビュー | 1985年9月3日 |
小川 良成(おがわ よしなり、1966年11月2日 - )は、プロレスリング・ノアに所属するプロレスラー兼同社取締役。茨城県取手市出身、180cm・90kg・B型。リングコスチュームから愛称はゼブラ。髪型、コスチューム、ファイト・スタイルはショーン・マイケルズをリスペクトしたものとされる。
目次 |
[編集] 略歴
1983年に全日本プロレスに入門。1985年9月3日、岩手県宮古駅前サンプラザ駐車場特設リングの笹崎伸司戦でデビュー。天龍源一郎の付き人を務め、その流れで1987年には天龍同盟入り。なかなか体重が増えず、悩んだ時期もあったが、その分テクニックを身につけ、ジュニアヘビー級のレスラーとして活躍した。1998年8月、後楽園ホールでの6人タッグ戦で秋山準に初勝利。ジュニアヘビー級の選手がヘビー級に勝つことは、全日本の試合においてそれまで考えられなかっただけに、場内は総立ちの興奮状態に包まれる。折りしも三沢光晴はそのとき組んでいた秋山とのタッグを解消することが決まっており、意中のパートナーがいることを匂わせていたがそれこそが小川だった。後にその時期、三沢はジャイアント馬場からマッチメーク権を譲渡されていたことが判明し、小川の台頭は「三沢革命」の象徴となる。その年の最強タッグ決定リーグ戦にて三沢のパートナーに本格的に抜擢され、三沢とユニット「アンタッチャブル(後のWAVE)」を結成。以降はそのテクニックが際立つようになり、新日本プロレスの獣神サンダーライガーと並んで「テクニシャン」と評され、体のあちこちに古傷を抱えながらもヘビー級戦線で活躍している。 2000年にノアの旗揚げに参加。
ジュニアのウエイトながら老獪なテクニックを駆使してヘビー級の選手とも互角に渡り合う。1999年8月には三沢とのタッグで大森隆男&高山善廣組に勝利し、アジアタッグ王座、さらに小川にとって初のヘビー級ベルトとなる世界タッグ王座を獲得する。この時小川は世界ジュニアヘビー級王座、三沢は三冠ヘビー級王座を保持しており、二人で全日本に存在するタイトルを総ナメにした。ノア移籍後、2002年4月には秋山準を破りGHCヘビー第3代王者となる。この時、秋山は「5分以内に片付ける」と小川を挑発していたが、逆に小川は5分以内に秋山の技を切り返してを丸め込み3カウントを奪ってみせた。当時はジュニアの最前線から距離を置いていたためにあまり強調されなかったが、ジュニアの選手として初めてGHCヘビー級を戴冠している。また、三沢光晴のタッグパートナーとしてGHCタッグ王座にも2度輝いている。
2003年11月1日の日本武道館大会にて、第6代GHCヘビー級王者の小橋建太(5度目の防衛戦)に挑戦。鉄柱攻撃による大流血が最後まで響き惜敗するも、ハイレベルな技術は高評価を受けた。
2005年7月18日の東京ドーム大会にて、かつて付き人を務めていた天龍源一郎と「Destiny第一戦シングルマッチ」で対戦が決定。前哨戦では小川が天龍に対して椅子を投げるなどの挑発を何度も行い、「天龍源一郎の引退試合って言うのはどうかなと思って。もうね、十分でしょ?」と言葉を吐いた。それに対し天龍は「あんな態度の悪い奴を付き人にした覚えはないよ。腹立たしい限りだよ」と記者越しに返していた。試合は小川が天龍より先に、天龍の得意技であるWARスペシャルを繰り出したり、顔面蹴りをお見舞いしたりと、小川が突っかかったが、体格で随分勝る天龍に53歳からのラリアットで敗北。しかし試合後、グロッキー状態であった小川に天龍が肩を貸し、小川は天龍の肩にもたれかかって花道を後にした。天龍は「可愛い後輩」とも言わんばかりの表情をしていたほか、バックステージのインタビューでも天龍は「俺に対してあいつが足りないのはキャリアだけだ。身体が小さいのにヘビーのベルトを巻いた人間だし、そういうリスペクトも含めて今日は試合をしたつもり」と最大の賛辞を贈った。
趣味はビリヤード。ビジュアル系レスラーの元祖と言われるほどの男前で女性にモテるとノア内でも評判であり、プレイボーイとしても有名であるが、現在でも独身貴族である。また喋りは得意なほうではないため、マイクパフォーマンスはあまり行わないが、時々毒舌コメントを発することはある。また、ノア役員としても、雑誌のインタビューなどでは冷静な分析を披露している。
その風貌や発言から、あまり周りの人間と絡まない性格だと思われることが多いが、リチャード・スリンガーなど外国人選手とは非常に仲が良く、かつての後輩で教え子でもある太陽ケアとも団体間を越えた友情を深めている。
現在は若手のコーチ役としても活動しているほか、三沢からマッチメイクを依頼されるなど、ノア役員としても重責を担っている。若手選手の面倒見もよく、興行の観客入場前には若手選手をリングに集め、自ら指導しているほか、「目立たないと誰も覚えてくれない」と、若手にガウンやTシャツを着せたりもしている。
[編集] タイトル歴
[編集] プロレスリング・ノア
- GHCヘビー級王座
- 第3代(防衛2回)
- GHCタッグ王座
- 第2代(防衛0回)&三沢光晴、第8代(防衛7回)&三沢光晴
[編集] 全日本プロレス
- 世界タッグ王座
- 第39代(防衛0回)&三沢光晴
- 世界ジュニアヘビー級王座
- 第14代(防衛4回)、第17代(防衛1回)、第19代(防衛5回)
- アジアタッグ王座
- 第67代(防衛0回)&三沢光晴
[編集] ファイトスタイル
ジュニアではあるが、若手時代に足を痛めるなど身体のあちこちに古傷を抱えており、飛んだり跳ねたりといったプロレスは行わない。その代わり、下記の独特のムーブのようなテクニック、ねちっこいファイトスタイルでトップレスラーに成し上がっている。現在日本ではあまり主流でない、ランカシャースタイル(イギリスを発祥とする、絞め技や関節技がメインのスタイル)を身に付けた、玄人受けする数少ないレスラーでもある。
[編集] 得意技
- 片足の腿の裏を片手で抱え込んで投げ、そのまま固めるスタイル。昔からフィニッシュとして使用している小川最大の必殺技。
- 固めずに投げ捨てる通常型のバックドロップも得意である。バックドロップホールドは足抱え込み式だが、こちらは両腕で相手の胴を捕まえるスタイルである。フィニッシュとしてもバックドロップホールドの次に使用率が高い。連発してフォールに行くときや、コーナーポスト上から雪崩式で決め手からフォールにいく場合が多い。
- 4の字ジャックナイフ固め
- 初公開は前述の秋山戦初勝利時。ヘビー級進出後の小川を代表するオリジナル技。別名、ゼブラクラッチ。
- 目潰し(サミング)→顎砕き(チンクラッシャー])
- 手をかざすようにして相手の視界を一瞬ふさぎ、その隙に自分の頭頂部を相手の顎の下に滑り込ませ、同時に相手の頭を両手で固定する。そして膝をつくようにして相手の顎にダメージを与える一連のムーブ。これに続いてに4の字ジャックナイフを仕掛けるパターンも多い。
- ネックブリーカー
- 若手時代から愛用している。試合の中盤から終盤あたりで使用。スイング式。
- 足掛け式延髄斬り
- 若手時代から使用。相手に正面から軽く前蹴りを繰り出し、それを相手にキャッチさせて、それを踏み台のようにして繰り出す延髄斬り。繋ぎ技としてよく使う。
- チンクラッシャー
- 前述の顎砕き。目潰しとセットで使われることも多い。
- タイガードライバー
- 各種丸め込み技
- 主にヘビー級相手に様々なバリエーションのクイック(丸め込み)を使用する。代表的なものとして、4の字ジャックナイフ固め、スモールパッケージホールド、回転片エビ固め、逆さ押さえ込み、ジャックナイフ固めなど。
[編集] 独特のムーブ
- リズミカルなパンチ連打
- 立っている相手にスリーパーをかける際、背中におんぶされる状態で仕掛ける
- コブラツイストをレフェリーのシャツをつかんで脱出する
- 相手がジャーマンやバックドロップを仕掛ける際、レフェリーを踏み台にして相手の背後に回って攻撃する
- 相手の顔面をロープにこすりつける
[編集] 入場テーマ曲
- 「Never Give Me Up」(小川美由希)<全日本時代>
- 「Scum Of The Earth」(ロブ・ゾンビ)<ノア移籍後>
- 「New Civilization Of Massive Destruction」(LIV)<2006年4月より使用>