チャボ・ゲレロ・ジュニア
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チャボ・ゲレロ | |
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プロフィール | |
リングネーム | チャボ・ゲレロ |
本名 | サルバドール・ゲレロ3世 |
身長 | 180cm |
体重 | 95kg |
誕生日 | 1971年1月7日 |
出身地 | テキサス州エルパソ |
所属 | WWE・RAW |
デビュー | 1994年 |
チャボ・ゲレロ・ジュニア(Chavo Guerrero, Jr.、1971年1月7日 - )は、アメリカ生まれのメキシコのプロレスラーである。
本名:サルバドール・ゲレロ3世(Salvador Guerrero III)。
メキシコのプロレス一家であるゲレロ家の一員である。祖父のゴリー・ゲレロ、父親のチャボ・ゲレロ、父親の兄弟のマンド・ゲレロ、ヘクター・ゲレロ、エディ・ゲレロも皆プロレスラーであった。
WWEのRAWに所属し、カーウィン・ホワイトのリングネームで活動していたが、エディの死去後チャボ・ゲレロのリングネームに戻った。
目次 |
[編集] 経歴
プロレスの名門一家に育ったということもあり、初めてリングにあがったのは4歳の時である。そのときの対戦相手は当時7歳の叔父エディ・ゲレロ。両者は年齢が近かったこともあり、兄弟のように育っていくことになる。
プロレスラーとしてのデビューは1994年。WCWに所属した。WCW時代には新日本プロレスにも登場している。WCW時代にはラティーノ・ワールド・オーダー(lWo)の一員としても活動している(但しlWoリーダーのエディ・ゲレロはストーリー上加入を認めていなかった)。またリューテナント・ロコのリングネームを仕様していた時期もあった。
WCW解雇後にはWWFに移籍。チャボ・ゲレロのリングネームで活動を開始する。永らく前座試合やタフイナフの教官を務めたりとストーリーのメインに絡むことは少なかった。
2002年に入りエディ・ゲレロとのタッグチーム「ロス・ゲレロス」結成とともに人気が一気にブレイクする。「ズルして、ダマして、盗み取れ(Lie Cheat Steal)」がゲレロ家の家訓であるとし、軽妙でズル賢い試合で高い人気を得、WWE・タッグチーム王座も獲得している。ロス・ゲレロスのストーリーが終了してエディと抗争した際には、父親のチャボ・ゲレロと共に行動していた。その後はクルーザー級戦線のレスラーとして活動していた。
2005年にスマックダウンからロウに移籍。同時にギミックとリングネームを変更。白人社会の上流階級というギミックで、ゴルフルックがトレードマークのカーウィン・ホワイトとなる。
2005年11月13日に叔父のエディ・ゲレロが死去した際の第一発見者で、WWEの公式発表の際にはビンス・マクマホンと共に会見を行っている。エディの死の後に行われ、エディに捧げる大会となったスマックダウンにて、チャボ・ゲレロとしてリングに立ち、JBLと対戦。エディの必殺技であるフロッグ・スプラッシュにて勝利した。
エディの死のショックから立ち直れず、2006年に引退(ギミックとも言われる)。その後レイ・ミステリオのセコンドとしてスマックダウン!に登場。 その後ヒールターンし、現役復帰し、レイ・ミステリオと抗争している。
[編集] 必殺技
- トルネードDDT
- ゴリー・ボム
- フロッグスプラッシュ
[編集] タイトル履歴
- WWE
- WWE・クルーザー級王座 :3回
- WWE・タッグチーム王座 : 2回(&エディ・ゲレロ)
- WCW
- WCWクルーザー級王座 : 2回
- WCWタッグ王座 : 1回
[編集] 外部リンク
カテゴリ: メキシコのプロレスラー | WWE | 1971年生