ジョン・レイフィールド
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ジョン・ブラッドショー・レイフィールド |
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プロフィール | |
リングネーム | ジョン・ブラッドショー・レイフィールド(略称・JBL) |
本名 | ジョン・チャールズ・レイフィールド |
ニックネーム | 傲慢金融アナリスト |
誕生日 | 1969年11月29日 |
出身地 | テキサス州スイートウォーター |
所属 | WWE |
ジョン・チャールズ・レイフィールド(John Charles Layfield、1969年11月29日 - )は、アメリカのプロレス団体WWE所属のプロレスラー、証券アナリスト、投資家。現在レスラーとしては引退している。アメリカテキサス州スイートウォーター出身だが現在はギミック上ニューヨーク在住を強調している。ブラッドショーもしくはジョン・ブラッドショー・レイフィールド(John "Bradshaw" Layfield)のリングネームで知られ、番組やファンの間では頭文字を取ってJBLと略される事が多い。なおこのJBLという愛称は元アメリカ合衆国大統領リンドン・ベインズ・ジョンソンの通称であるLBJに掛けられている。
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[編集] プロフィール
大学時代はアメリカンフットボールの選手として活躍。ダラスでブラック・バートの指導を受け、1992年にジョン・ホークの名でデビュー。
1996年ジャスティン・"ホーク"・ブラッドショーの名でWWFに入団、その後バリー・ウィンダムとニュー・ブラックジャックスを結成してブラックジャック・ブラッドショーに改名。1997年には全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦するも、1998年にタッグ解散。同年秋からブラッドショーとしてファルークとアコライツを結成し、1999年にはWWF世界タッグ王座を2度獲得。2000年には酒とポーカーを好み、金かビールをもらえばどんな仕事も引き受ける荒くれ者タッグのAPA(アコライツ警備保障)を結成。2001年にタッグ王座を取得している。2002年の2リーグ制発足によってRAW所属となりファルークとのコンビを一旦解散。当初はプッシュを受けていたがその後暴力事件を起こしハードコア要員に格下げされてしまう。
腕を負傷し欠場した後はスマックダウンで復帰しファルークとAPAを再結成。トレードマークの長髪を切り、髪も黒から本来の金髪に戻す。2004年にファルークと別れ、株で成功した嫌味な証券アナリストにギミックを変更してシングルプレーヤーに転向、ジョン・ブラッドショー・レイフィールドに改名。同年The GREAT AMERICAN BASH 2004でエディ・ゲレロとのテキサス・ブルロープ戦で勝利しWWE王座を獲得。その後はオーランド・ジョーダン、ダグ・バシャム、ダニー・バシャムと共にチーム「JBL内閣」を組織し、いわいるヘタレ系ヒールとしてジ・アンダーテイカー、ビッグ・ショー、カート・アングルらの強豪をあの手この手で避け、WWE王座を長期保持。2005年のWrestleMania 21でジョン・シーナに敗れるまで、ディーゼル以来過去10年間でのWWE王座最長保持記録を打ち立てた。その後もレスリング・ゴッドと自称し、SmackDown!のトップヒールとして活躍。RAWからSmackdown!に移籍してきたバティスタと世界ヘビー級王座をめぐって抗争を繰り広げた。結局、王座獲得ならずその上、レイ・ミステリオとのシングルマッチで負けてしまい、MNMのフィクサー、ジリアンを雇う。RAWとSmackDown!が抗争した際はSmackDown!側の主要レスラーとして活動し、Survivor Series 2005でのスマックダウン側の代表レスラーの一人として5対5の生き残り戦に出場した。
2006年に入ってブギーマンと抗争した後、WrestleMania 22でクリス・ベノワに勝利し、WWE・US王座を獲得した。US王座獲得後、WrestleMania 22で世界ヘビー級王座を獲得したミステリオを挑発。Judgment Day 2006で世界ヘビー級王座戦を戦うが敗戦。5月26日に開催されたSmackDown!でラシュリーに敗れてUS王座を奪われ、同日のメイン戦で自身のSmackDown!追放を賭けてミステリオと世界ヘビー級王座戦を行うが敗戦、SmackDown!追放が決定した。しかし、6月11日のECWワンナイト・スタンドに登場し、SmackDown!復帰を宣言、ECWに移籍した解説者のタズに代わる解説者としてSmackDown!に復帰を果たした。腰の怪我の悪化により、ミステリオとの試合をもって選手としては引退した。しかし、元相棒のロン・シモンズ(ファルーク)がWWEに復帰したこともありショーン・マイケルズのように復帰して欲しいというファンの声は少なくない。
リング外では証券取引をギミックではなく実際の副業としており、かつて証券アナリストとしてラジオ番組やテレビ番組に出演、著書も出版している。現在の夫人も株の番組に出演していた。WWEのドイツ遠征の際、ナチス式敬礼のパフォーマンスを取ったためにCNBCの番組を降板した事もあった。
[編集] 必殺技
- ただのランニング・クローズラインだが威力が桁違いで現役レスラーでは最強の使い手の一人に挙げられる。元々は尊敬するスタン・ハンセンのウェスタン・ラリアットを模倣したもの。
- パワーボム
- フォール・アウェイ・スラム
- いわいるブロック・バスター。彼のそれはラスト・コールの別名を持つ。
- ビッグ・ブート
[編集] エピソード
- 現在はギミック上、故郷テキサスを小バカにしているが、実際は非常に郷土愛の強い人物。(現在、番組中で使用しているリムジンに牛の角が取り付けられているところにその名残が見られる。)ブラッドショー時代はテキサスで興行を行う度に同じくテキサス出身のストーン・コールド・スティーブ・オースチンと共に大暴れしていた。
- 共和党支持を公言しており、また米軍への慰問にも積極的で2003年以降WWEが行っているアフガニスタン・イラク駐留軍への慰問興行には必ず参加している。日本興行の際にも在日米軍基地への訪問をしている。(ちなみに米軍慰問興行はもともとJBLの案だという)
- 同郷のスタン・ハンセンを尊敬しており、ブラッドショー時代はハンセンのようなテキサンスタイルのコスチュームで入場しテキサス・ロングホーン(手の人差し指と小指を立てて腕を上げるポーズ)を掲げて「ウィーーッ」と叫ぶ事もあった。
- 普段は温厚でまじめな性格だが武闘派としても知られ、バックステージにおいては問題行動を起こした選手の制裁役を受け持つことでも有名。かつてWWEが開催した格闘技トーナメント『ブロール・フォー・オール』では準優勝を果たしている。
[編集] タイトル履歴
WWE
- WWE王座 : 1回
- WWE・US王座 : 1回
- WWFハードコア王座 : 18回
- WWFヨーロッパ王座 : 1回
- WWF世界タッグ王座 : 3回(&ファルーク : 3回)
GWF
- GWFタッグ王座 : 2回(&Bobby Duncum, Jr.、&ブラック・バート)
MCW
- MCWタッグ王座 : 1回(&ファルーク)
- OVW南部タッグ王座 : 1回(&ファルーク)
その他
- NWA北米ヘビー級王座 : 1回
- キャッチレスリングタッグ王座 : 2回(&Fit Finlay、Grizzly)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国のプロレスラー | WWE | 1969年生