チワン族
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チワン族(チワン-ぞく;壮族/荘族、チワン語:Bouxcuengh ポウシューン、中国語簡体字:壮族;漢語ピンイン:Zhuàngzú)は中国南部やベトナム北部に住居するタイ系の民族である。 中華人民共和国では広西チワン族自治区中西部や雲南省南西部、広東省東部、貴州省南部、湖南省南部に1,800万人が住み、中国最大の少数民族となっている。言語はシナ・チベット語族チワン・タイ語支に属するチワン語を話す。
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[編集] 名称
宋代以来主に撞、僮、獞などと呼ばれ、中華人民共和国成立後は僮族に統一されたが、僮には「わらべ」、「しもべ」などの差別的な意味があるため、1965年に壮族と改称された。日本では漢字を使わず、チワン族と呼ぶ。
[編集] 歴史
古代から中国南部の原住民族であった百越の一種で、秦漢時代から中華王朝の支配下にあった。明代には少数民族首長の世襲支配を認める土司制度が行われていた。勇猛なチワン族の兵士は狼兵と呼ばれ、瓦氏夫人に率いられた田州狼兵が倭寇鎮圧に動員されたこともある。清代になって改土帰流が行われ、直接支配地域になった。漢族との接触の歴史が長いため、漢語も十分に浸透している。このため、黄、陸、莫、僮などの漢字姓を名乗る人が多い。
近代には1850年に太平天国革命が広西の金田村で始まったため、チワン族も多数参加した。1929年から1932年にかけて鄧小平が広西で指導した右江革命根拠地にも多くが参加し、中国では革命的伝統が称えられる。
[編集] 民族自治区域
1952年12月、広西省西半分に桂西僮族自治区が成立し、1956年自治州に改められた。1958年には広西省全域に拡大して広西僮族自治区となった。今日の広西チワン族自治区である。人口分布としては自治区首府である南寧に約400万人、柳州に約200万人が集中し、自治区全域に分布する。他省では、1958年雲南省東南部に文山チワン族ミャオ族自治州、1962年広東省に連山チワン族ヤオ族自治県が設置されている。
[編集] 文化
古来より歌舞を好み、歌垣の風習やチワン語による壮劇が伝わる。また精巧な銅鼓による民族音楽が広く行われる。 工芸品としては五色の糸で美しく刺繍を施した壮錦が有名で、現在も生産されている。服飾は男女とも黒色を正式の礼装とする。 食文化としては米食中心であるが、一部には犬肉食の風習や檳榔の実を噛む習慣がある。
[編集] 民族性
伝統的に来客を好み、見知らぬ客でも厚くもてなす。同じ民族間ではよく団結し、時に山塞を構える。農業には勤勉だが、商業を嫌う傾向がある。タイ系民族一般に見られる特徴だが、女性がよく働き、農作業も行う。男性は勇猛でよく戦う。
[編集] 関連項目
カテゴリ: アジアの民族 | 中華人民共和国の民族