南寧
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南寧 | |
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広西チワン族自治区中の南寧市の領域 |
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各種表記 | |
簡体字: | 南宁 |
繁体字: | 南寧 |
ピン音: | Nánníng |
ラテン字: | Nanning |
発音: | ナンニン |
南寧(なんねい)は中華人民共和国広西チワン族自治区の首府である。歴史的な簡称は邕(ヨウ)だが、近年緑化が進んでいることから緑城とも言われる。面積22,293平方キロ、全市人口641.7万人、市区人口145.8万人(2003年)。チワン族が全市人口の56.3%を占める。
目次 |
[編集] 地理
自治区中南部の南寧盆地を流れる邕江両岸に位置する。邕江は珠江支流の西江の支流であり、河川航路により海に出ることができる。ベトナム国境から160キロの地点にあり、中国と東南アジアとの貿易上重要な都市となる。海洋から遠くないため、高温多湿である。
[編集] 歴史
紀元前214年秦の嶺南征服により桂林郡に属し、広州を都とする南越王国を経て、紀元前111年に漢の郁林郡となった。318年に東晋が郁林郡から晋興郡を分置し、晋興県を置いた。これが今日の南寧の始まりである。唐代には邕州が設置され。これが今日の南寧の簡称の起源となる。元代には邕州路が南寧路に改められ、南寧の名が起った。明代には南寧府が置かれて、広西布政使司に属し、清代には桂林を省会とする広西省に属した。
辛亥革命後、広西軍政府は1913年桂林から南寧に省都を移したが、1936年には再び桂林に戻った。日中戦争では二度日本軍に占領されている。1949年12月4日人民解放軍が南寧に入城し、1950年1月23日南寧市人民政府が正式に成立した。同年2月8日広西省人民政府が成立すると南寧を省都とした。その後、幾度かの変遷を経て1958年3月5日現在の広西壮族自治区が成立し、南寧市が自治区首府となった。
1968年には文化大革命により南寧市革命委員会が成立するが、1980年には正式に市人民政府が復活する。 1992年6月15日、国務院の决定により南寧市は対外開放都市となった。
[編集] 行政区画
市区: 興寧区、新城区、城北区、 江南区、 永新区、邕寧区
県: 武鳴県、隆安県、馬山県、上林県、賓陽県、 横県
[編集] 経済
自治区都・南寧は、2004年以降中国ASEAN博覧会(CAEXPO)の定例開催地となっており、併せてASEANビジネス・投資サミットも開催されている。
[編集] 開発区
[編集] 国家級開発区:
- 南寧高新技術産業開発区 広西大学などがある、市中心部
- 入居企業:2,400社
- 南寧経済技術開発区
- 入居企業数:500社
- 沿海経済走廊開発区 (1993年設立)
- 入居企業数:179社
[編集] 省級開発区:
- 中国アセアン経済園区
- 入居企業数:60社
- 南寧六景工業園区
- 南寧沿海経済走廊開発区
[編集] 教育
- 広西大学(1928年建校)
- 広西師範大学
- 広西医科大学
- 広西中医学院
- 広西芸術学院
- 広西民族学院
[編集] 友好都市
- オーストラリアクイーンズランド州en:バンダバーグ (1998年5月12日締結)
- アメリカ合衆国ユタ州プロヴォ (2000年9月27日)
- オーストリアケルンテン州クーラゲンフルト (2001年8月17日)
- タイ王国東北部コーンケーン県コーンケーン (2001年11月2日)
- イギリスランカシャー州 (2002年3月2日)
[編集] 外部リンク
- 南寧市人民政府公式サイト(中国語及び英語)