ディック・ハットン
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ディック・ハットン(Dick Hutton 、1923年 - 2003年)は、アメリカのプロレスラー。テキサス州アマリロ出身。ニックネームは「野生の男」。身長188㎝、体重110㎏
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[編集] 経歴
15才からアマレスを始め、アマチュアレスリングの名門オクラホマ農業大学で全米大学選手権4連覇、ロンドンオリンピック代表など数々の名声を得たあと1951年にプロレスデビュー。1957年11月14日、トロントでルー・テーズを得意のコブラツイストで破り第41代NWA世界ヘビー級王者となる。1959年1月9日パット・オコーナーに敗れ王座転落。1962年初来日。1966年現役引退。コブラツイストの第一人者といわれている。 アマレス時代からバーン・ガニア(AWA世界王者)のライバルで、ガニアが早くからプロレスで成功しているのを見て自分にもできると思ったという。 ルー・テーズは寝技では古今東西ハットンに敵う者はいないと述べている。 1962年の第4回ワールドリーグ戦に参加し来日。力道山とシングルで対戦した際もグラウンドレスリングで翻弄し、カナディアンバックブリーカーに担ぎ上げられた力道山が恐怖にかられ大声で「まいった、まいった」と連呼したという。一方で、あまり華が無く地味な選手であったためファンからの人気は低かった。
[編集] 得意技
[編集] タイトル履歴
- NWA
- NWA世界ヘビー級王座 : 1回
[編集] 関連項目
カテゴリ: アメリカ合衆国のプロレスラー | 1929年生 | 2003年没