トニー・フェルナンデス
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トニー・フェルナンデス(Tony Fernandez, 1962年6月30日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手である。ポジションは内野手(メジャーリーグでは遊撃手、日本球界では三塁手)である。日本では2000年に西武ライオンズに所属した。
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[編集] 来歴
ドミンゴ・マルティネスを解雇したために打線が弱体化し、リーグ3連覇を逃した西武ライオンズが年俸3億5000万を費やし(金額は推定)、自信を持って獲得した選手。メジャーで2000本安打を放ち、「ゴッド」とまでよばれた大物で、高齢のため往年のショートの守備には付かなかったものの、打撃の方はメジャー2000本安打の実力をいかんなく発揮した。またメジャーでも定評があった走塁面でも力を発揮、若い頃の走力はなかったが、相手の隙を逃さない好走塁をしばしば見せた。38歳と年齢の問題もあり、高年俸であったことと怪我が多いことから1年で解雇されたが、当時のオーナー堤義明は「ライオンズに無いものを彼がアメリカから持ってきてくれた。ありがとうと言いにいかせる」と、編成担当をドミニカまで向かわせるほどその存在感、野球に対する態度はチームを変えたとも言われ、松井稼頭央のその後のメジャー移籍に大きな意味を持たせた。翌2001年はアメリカメジャーリーグに復帰するもこの年限りで現役を引退した。 背番号1番はブルージェイズのエクセレント・ナンバー(準永久欠番)として顕彰されている。 現在はTony Fernandez Foundationという北米とドミニカの子供を助ける財団を経営。
敬虔なクリスチャンであり、本塁打を放った後などに神に感謝する仕草も見られた。また禁酒禁煙で、西武ドームのベンチ裏から灰皿が撤去されたのは、このフェルナンデスに配慮したものだった。
夏場には、母国で兄が急死したという訃報に接し、一時チームを離れ帰国した。しかしすぐに復帰、その最初の試合でサヨナラ打。ヒーローインタビューでは兄への想いを静かに語り、ファンに感動を呼んだ。
[編集] 奇行
フェルナンデスには来日直後から、様々な奇行が目立った。
入団時の記者会見で日本球界入りを決めた理由を聞かれると「神のお告げです」と発言。敬虔なクリスチャン故の言葉だが、その4年前にマイク・グリーンウェルが阪神を退団する際に同じ発言をして話題を呼んでおり、ファンからは不安の声も聞かれた(が、結局杞憂に終わった)。
練習では、更に奇人ぶりを発揮。巨大なボールを両手に抱えて横に放り投げたり、ノックでわざとトンネルを繰り広げるなど、その独特の練習は周囲を唖然とさせた。また不振に悩んでいたある時には、遠征中の地方球場で工事現場に置かれていた杭打ち用ハンマーを発見。それを使って素振りを行ったところその日の試合で猛打賞と復活し、関係者に頼んでそのハンマーを譲ってもらったこともある。
試合中は何故か大きな帽子、ヘルメットを浅めにかぶる癖があり、プレーの最中にしょっちゅう帽子を飛ばしていた。ある時は走塁中にヘルメットが脱げ、その後三塁に滑り込んだとき剥き出しの後頭部に送球が直撃し悶絶したことがあるなど、あまり良い結果は生んでいない。
他にも徹底した禁酒禁煙で西武ドームベンチ裏から灰皿を撤去させたり(本人が命じたかどうかは不明)、福岡ドームでトレーニング室備え付けのマウンテンバイクを持ち出し通路で乗り回すなど(本来は禁止)、その伝説には枚挙に暇がない。ともすれば自分勝手ともとられそうだが、信心深いフェルナンデスは常にチームのことを考える選手であり、独善的な我が侭などは一切言わなかった。メジャーで大きな実績を残した選手にありがちな、高いプライドで日本野球を見下したような姿勢、或いはプレーに手を抜くなどといった問題とは完全に無縁であり、チーム内からの人望も厚かった。
[編集] 略歴
- 身長・体重 1m85cm、91kg
- 投打 右/両
- 出身地 ドミニカ共和国
- 球歴・入団経緯 ガスト・フェルナンド・デ・リグネ高 - - トロント・ブルージェイズ - サンディエゴ・パドレス - ニューヨーク・メッツ - トロント・ブルージェイズ - シンシナティ・レッズ - ニューヨーク・ヤンキース - クリーブランド・インディアンス - トロント・ブルージェイズ - 西武ライオンズ(2000年)- ミルウォーキー・ブルワーズ - トロント・ブルージェイズ
[編集] 通算成績
[編集] アメリカ・メジャーリーグでの通算成績
- 2158試合 打率.288(7911打数2276安打)92本塁打 844打点246盗塁
[編集] 日本プロ野球での通算成績
- 103試合 打率.327(370打数121安打)11本塁打 74打点 2盗塁