トルクメニスタン民主党
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トルクメニスタン民主党はトルクメニスタンの政党。トルクメン共産党の後継政党で、事実上の独裁与党。党首に相当する議長は空席だが、2006年まで終身大統領を務めたサパルムラト・ニヤゾフがかつて議長を兼任していた。
[編集] 党名
- 英語名はDemocratic Party of Turkmenistanで、略称DPT.
[編集] 現況
1991年12月のトルクメン共産党第25回党大会により、トルクメン共産党からトルクメニスタン民主党に改称。サパルムラト・ニヤゾフを党の議長に選出した。以来、特定の政治思想を持つ集団としての政党というより、ニヤゾフによるカリスマ支配の支持者団体という意味合いが強い政党となっている。
トルクメン・ソビエト社会主義共和国がトルクメニスタンとして旧ソ連から独立し、憲法で複数政党制が認められて以降も、同国では事実上トルクメニスタン民主党による一党独裁制が敷かれている。トルクメニスタンには合法政党が2つしかなく、トルクメニスタン民主党以外には1992年に設立された農民正義党が存在する。だが農民正義党はトルクメニスタン民主党の地方幹部により構成された政党であり、名実共に衛星政党に過ぎない。
ソ連時代から野党活動が皆無と言ってよい状況が続くなか、ニヤゾフ大統領の個人政党として全国的にネットワークを張り巡らせたトルクメニスタン民主党は、権威主義体制と豊富な天然資源により政権を確固たるものとしている。国外には反ニヤゾフ運動も存在するが、2004年12月19日の議会選で全50議席をトルクメニスタン民主党が独占するなど、権力を欲しいままにしているのが実情である。
2006年12月21日、ニヤゾフ大統領が急死。ナンバー2や後継者の育成に消極的だったニヤゾフ大統領の政策もあり、次期大統領(つまり党議長)をめぐり、党内で混乱が発生するという指摘もある。