権威主義
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権威主義(けんいしゅぎ)とは、意思決定の場において、論理的説明を省略し、権威に対する盲従を要求する態度、及び意思決定や判断において自分の頭で考えたり情報を集めずに権威に盲従する態度を指す。また、特にパターナリズム(家父長主義)的な統治思想を指す用法もある。
- 個人が膨大な知識体系をすべて理解することは事実上不可能であるため、誰しも多かれ少なかれ意思決定の際に権威に依存することは避けられない。そもそも論理性という概念自体、大多数の人間にとっては科学哲学などの学問の権威に依存して理解することしかできない。ただし、ある権威を認める者が、権威を認めない者に対して自己と同様に権威へ無条件に帰服することを要請した場合、要請を受けた側にとって権威主義は理不尽な思想強制となる。そのため、権威主義の語は一般に、蒙昧な論者による論理的説明無しの盲信的ごり押しを意味するレッテルとなる。と言う意見もある。
- その一方で、公正且つ科学的・論理的に自分の頭で考えて判断するためには当該事項について其れ相応に学習せねばばならないが・学習が面倒である、または自分の頭で判断すると裏目に出た場合・自分が責任を取らされるといった官僚制的保身から「権威」の言った事なら盲信し、「非権威」の発言は軽視すると言った権威主義的態度は日本社会に深く根を下ろしているが、要は思考に於ける手抜きや官僚制的責任回避であり、保守的偏見や無責任体制・封建主義の温床、科学の敵、独創の敵になっているとの批判もある。
- 権威主義と科学的実証・合理主義との対立については、中世欧州最大の権威であったローマ教皇の天動説と科学者が唱えた地動説の対立が良く実例として挙げられることが多い。(しかし、現在においては天動説にもそれなりの科学的根拠があり、聖書のみを根拠に科学的学説を弾圧したわけではないとの意見もある)
- 社会心理学の分野ではファシズム支持と権威主義的パーソナリテイが深く結びついていた事が指摘されている。帝政に慣れ親しんだ民衆が帝政の崩壊、民主制への移行にともない自分で考え選択して責任を負うことに恐怖を感じ「自由からの逃避」が起こった結果、「頼れそうな権威」に見えたファシストが支持を集めてしまったと言う指摘である。
- 日本における権威主義については学会関係・軍事関係における官僚制と結びついた権威主義が(軍は上意下達の官僚組織であるために権威主義に陥り易いのは世界共通であるが)科学及び軍事技術、運用思想開拓に於いて、独創の軽視・独創者の排除・独創の欠如の原因になっているとの権威主義の弊害の指摘がある。また、日本企業の採用に於ける官僚制的保身の絡んだ権威主義(つまり、採用した人間に問題があったとしても権威である有名大学出身者であれば、採用した人事担当者はある程度責任回避ができる)が学歴社会の温床になっているという事で権威主義の弊害を指摘する者もいる。
- 権威主義が公正でないことを示す諺に「千慮の一失、千慮の一得」(権威も間違う事はあり、非権威が正しい事もあるので、安易に権威に飛びつくのではなく、双方の主張を聞き、情報を集めて正誤を正しく判断せねばならない)がある。また、処世上は権威主義が有利である事を表す諺に「長いものには巻かれろ」(強者・権威に逆らうな)がある。
- 政治や組織における家父長主義的な態度を権威主義と同義に捉える考え方もあるが、必ずしも少数支配者の権威に依存することのみが権威主義であるというわけではなく、多数の権威や思想の権威に依存することも権威主義の一種である。端的な例では反権威思想も権威となりうる。
[編集] 政治
形式的には多元的な議会を持ちマスメディアでの自由な世論を認めておきながらも(この点において全体主義とは異なる)、それらを重要視することなく、地位などの権威にもとづいて権力を行使する状況に国家があるとき、その国家を「権威主義国家」(あるいは「権威主義的国家」)と呼ぶことがある。開発独裁を遂行する国家は、多くの場合、権威主義国家でもある。韓国やインドネシア、タイなどもその典型だった。また、共産主義国であるソ連についても、スターリン以降のソ連は全体主義というよりも権威主義として捉えたほうが適切との見方もある。
また、国王や元首といった「権威」を無批判に礼賛して崇拝し続ける人々も権威主義者として扱われる。
[編集] 関連項目
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