ナタリー・ドシー
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ナタリー・ドシー(Nathalie Dechy, 1979年2月21日 - )は、フランスの女子プロテニス選手。フランス領のグアドループに生まれる。2006年の全米オープン女子ダブルスで、ロシアのベラ・ズボナレワとペアを組んで優勝した。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ベースライン・プレーヤーで、オーバーヘッド・スマッシュ(自分の頭の上から打つスマッシュ)を最も得意にする。シングルス自己最高位は12位。これまでにWTAツアーでシングルス1勝、ダブルスで2006年全米オープンを含む2勝を挙げている。(本記事は新聞の一般表記により「ドシー」で記述するが、「ドゥシー」「デシー」などの表記揺れも多い。)
ドシーは父親がテニスと数学の教師で、母親もスポーツの教師という恵まれた家庭に育った。1994年にプロ入り。1995年に高校を中退し、プロテニス選手に専念する。同年の全仏オープンで、地元フランス人選手として主催者推薦を受け、4大大会にデビューした。2000年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのフランス代表選手になる。同年に2つのトーナメントで決勝に進んだが、どちらも準優勝で止まった。2003年1月にオーストラリア・ゴールドコーストの大会でツアー初優勝を果たしたが、現時点ではこれがドシーの唯一のシングルス・タイトルである。彼女のこれまでの戦歴を通じて、シングルスでは優勝1度、準優勝3度に対し、準決勝敗退「15度」が目立ち、現時点では大事な場面での勝負弱さが課題となっている。
ナタリー・ドシーのこれまでのハイライトは、2005年全豪オープンでの準決勝進出である。この時ドシーは、4回戦で2004年全仏オープン優勝者のアナスタシア・ミスキナ、準々決勝ではスイスの実力者パティ・シュナイダーを破り、初めて4大大会のベスト4に勝ち残った。準決勝では第1シードのリンゼイ・ダベンポートから第1セットを 6-2 で奪ったが、第2セットのタイブレークを失い、最終第3セットでダベンポートに 4-6 と逆転されて決勝進出を逃した。
2006年度の序盤戦ではつまずき、全豪オープンでは初戦敗退に終わる。2月の東レ・パン・パシフィック・テニス2回戦で、第3シードのドシーは当年度から現役復帰を果たしたマルチナ・ヒンギスと対戦し、第1セットを 6-4 で先取したが、続く2セットを 5-7, 2-6 で失った。ドシーとヒンギスは、それ以前(ヒンギスがいったん現役を退く前の時期)にも4度の対戦があり、初対決は1998年全米オープンの4回戦だった。東レの2回戦は5年ぶりの顔合わせだったが、ドシーはこれでヒンギスに5戦全敗となった。シングルスでは不調が続いたが、全米オープンの女子ダブルスでドシーはベラ・ズボナレワとペアを組み、カタリナ・スレボトニク(スロベニア)&ディナラ・サフィナ(ロシア)組を 7-6, 7-5 で破って初優勝を決めた。
フランスの女子テニス界は、最近は非常に選手層が厚くなり、2006年に全豪オープンで宿願の4大大会初優勝を飾ったアメリ・モレスモ(ドシーと同じ年)をはじめ、4大大会2勝の実績を持つベテランのマリー・ピエルスなどが世界の上位で活躍している。ドシーは彼女たちに比べるとやや地味な存在だが、層の厚いフランス女子を代表する選手のひとりと言えるだろう。
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カテゴリ: フランスのテニス選手 | 1979年生