バッテンベルク家
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バッテンベルク家(Battenberg)はドイツを発祥とするヨーロッパの貴族、君主の家系。ヘッセン家の支流に属し、ヘッセン=ダルムシュタット方伯、後にヘッセン大公の家系となったヘッセン=ダルムシュタット家の分家である。バッテンベルクの名はヘッセン大公の邸宅に由来する。
ヘッセン大公ルートヴィヒ3世が弟アレクサンダー大公子の妻ユリア・テレーザ・フォン・ハウケ伯爵夫人にバッテンベルク公(侯)爵夫人(Prinzessin von Battenberg)の称号を与えたのが始まりである。ユリアの父ハンス・モーリツ・フォン・ハウケ伯爵はロシア軍人として活躍し、皇帝ニコライ1世によってポーランド立憲王国の国防副大臣に任命され、伯爵に叙されていたが、この結婚は貴賎結婚とされた。アレクサンダーとユリアの子供たちにはバッテンベルク公(侯)爵(夫人)の称号が与えられたが、ヘッセン大公家の継承権は与えられなかった。
アレクサンダーとユリアの長男ルートヴィヒ・アレクサンダーはイギリスに帰化し、ルイス・アレグザンダー・バッテンバーグと名乗っていたが、第一次世界大戦中にイギリスでの反ドイツ感情から、英語風にマウントバッテン(Mountbatten)と改姓した。ルイス・アレグザンダーは初代ミルフォード=ヘイヴン侯爵に叙されている。
[編集] バッテンベルク家の人物
- ルイス・アレクサンダー・マウントバッテン(1823年 - 1888年) 初代ミルフォード・ヘイヴン侯爵、イギリス海軍士官
- アリス・オブ・バッテンバーグ(1885年 - 1969年) ギリシャ王子アンドレオス妃
- フィリップ・マウントバッテン (1921年 - ) エディンバラ公、エリザベス2世王配
- チャールズ・マウントバッテン=ウィンザー(1948年 - ) イギリス王太子、プリンス・オブ・ウェールズ
- ウィリアム・マウントバッテン=ウィンザー(1982年 - ) イギリス王子
- ヘンリー・マウントバッテン=ウィンザー(1984年 - ) イギリス王子
- アン・ローレンス(1950年 - ) イギリス王女
- アンドルー・マウントバッテン=ウィンザー(1960年 - ) ヨーク公爵
- エドワード・マウントバッテン=ウィンザー (1964年 - ) ウェセックス伯爵)
- チャールズ・マウントバッテン=ウィンザー(1948年 - ) イギリス王太子、プリンス・オブ・ウェールズ
- フィリップ・マウントバッテン (1921年 - ) エディンバラ公、エリザベス2世王配
- ルイーズ・マウントバッテン(1889年 - 1965年) スウェーデン王グスタフ6世アドルフ妃
- ジョージ・ルイス・マウントバッテン(1892年 - 1938年) 第2代ミルフォード・ヘイヴン侯爵
- ルイス・フランシス・マウントバッテン(1900年 - 1979年) イギリス海軍元帥
- アリス・オブ・バッテンバーグ(1885年 - 1969年) ギリシャ王子アンドレオス妃
- アレクサンダル・バッテンベルク(1857年 - 1893年) ブルガリア公
- ヘンリー・オブ・バッテンバーグ(1858年 - 1896年)
- ヴィクトリア・ユージェニー(1887年 - 1969年) スペイン王アルフォンソ13世妃
- フランツ・ヨーゼフ・フォン・バッテンベルク(1861年 - 1924年)