フィリップ (エディンバラ公)
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フィリップ(The Duke of Edinburgh,Philip Mountbatten, 1921年6月10日 - )は、イギリス女王エリザベス2世の夫(王配)。エディンバラ公。イギリス海陸空軍元帥。
ギリシャおよびデンマークの王家であるグリュックスブルク家出身。ギリシャ王国の第2代国王ゲオルギオス1世の王子アンドレオスとバッテンベルク家出身のアリスの長男として誕生。ヴィクトリア英女王の玄孫であり、英国王位継承権を持つ(2005年8月現在第490位)。
姉が4人いる。長姉マルガリータ(ホーエンローエ=ランゲンブルク公妃)、次姉セオドラ(バーデン辺境伯夫人)、三姉セシリア(ヘッセン大公妃)、四姉ソフィア(ヘッセン=カッセル公妃)である。
母方の伯母ルイーズはスウェーデン王グスタフ6世アドルフ妃。叔父が2人おり、2代目ミルフォード=ヘイヴン侯ジョージ・ルイスと第二次世界大戦時の元帥ルイス・マウントバッテン卿は母方の叔父である。
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[編集] 略歴
フィリップはギリシャ、イオニア諸島のコルフ島(ケルキラ島)にある別荘の台所で生まれた。生後1年ほどしてギリシャでクーデターが発生、国王コンスタンティノス1世は退位を余儀なくされ、王弟である父アンドレオスは革命政府から死刑を宣告された。それまでケルキラ島に滞在していた一家は、ジョージ5世の差し向けた英国海軍の軍艦によりギリシャを脱出した。
一家はパリへと向かい、アンドレオスの兄ゲオルギオスの妻であるマリー・レティティア・ボナパルトの所有するパリ郊外サンクルーの別荘に滞在した。家庭は円満でなかった。次々と愛人をつくり、家庭をかえりみない父アンドレオスは不在が多かった。夫の不貞に母アリスは精神を病み、南仏の病院に入院した。姉たちが結婚で家を離れると、フィリップは一人になった。その後フィリップはイギリスとドイツで教育を受け、デボン州の海軍兵学校を卒業し、イギリス海軍軍人となって第二次世界大戦中も従軍した。1947年にイギリス国王ジョージ6世の娘で王位継承予定者のエリザベスと結婚する。ギリシア正教からイギリス国教会への改宗を行い、さらにギリシャおよびデンマークの王子の地位を放棄することを宣言し、エディンバラ公爵となった。1957年に妻であるエリザベス2世から王子(prince)の地位を与えられ、それ以降はHis Royal Highness The Prince Philip, Duke of Edinburgh(エディンバラ公爵フィリップ王子殿下)が正式な呼称となる。
[編集] 失言
フィリップは「失言王」の異名を持ち、人種や性別に絡む失言をたびたびして議論を呼ぶ。
- 「英国人女性は料理ができない。」(1966年)
- 「あなたは女ですよね?」(1984年ケニア訪問時、現地人女性に質問)
- 「ここに長く住んでいたら、あなたたちみんな目が細くなりますよ。」(1986年中国訪問時、中国に留学中の英国人学生に発言)
- 「あなたたちはほとんど海賊の子孫なのではないのですか?」(1994年ケイマン諸島訪問時、現地人に質問)
- 「なんとか食べられずに済んだのですね。」(1998年パプアニューギニアを探検した学生に発言)
- 「きみは太りすぎているから無理だろう」(2001年「将来宇宙飛行士になりたい」と語った12歳の少年に返答)
- 「まだ槍を投げ合っているのですか?」(2002年オーストラリア訪問時、オーストラリア先住民に質問)
[編集] エピソード
バヌアツにあるタンナ島ではフィリップを神と崇めており(古い言い伝えに神には2人の子がいてそれがフィリップであると考えられるようになった)、バヌアツが独立をする際に反乱が当地で起きたが、竹槍をもったフィリップの写真を見せると瞬く間に反乱が治まったという。[1]
[編集] その他
- 日本学士院名誉会員である。
[編集] 関連項目
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