バルトロメウス・スプランヘル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バルトロメウス・スプランヘル(Bartholomäus(Bartholomeus)Spranger 1546年3月21日‐1611年9月17日)は、フランドルの画家。北方マニエリスムの代表的な美術家。
生地のアントウェルペンで画家としての修業を積み、1565年にローマに出る。ここでマニエリスムの様式を身に付け、ローマ教皇のための仕事に従事し、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世に招かれてウィーンへ赴き、宮廷画家となる。後にルドルフ2世に従ってプラハに移り、以降は没するまで彼の地を本拠とした。
彼の作品で特徴的なのは裸婦像の描写である。神話を主題に採りながらも、体の線を曲げて男性キャラクターを誘惑する女性像は、優美さと妖艶さで他の追随を許さない。また晩年にかけては、皇帝のコレクションに収まっていたカラッチの影響や、巧みな色彩効果でその座を掴んだ新進の宮廷画家、ハンス・フォン=アーヘンとヨーゼフ・クランツの追い上げもあって、バロック絵画に接近した様式に画風が移っている。その意味では、マニエリスムとバロックの過渡期を生きた画家であったと言える。
[編集] 外部リンク
- アムステルダム国立美術館による紹介 (英語)