バンスカー・シュチャヴニツァ
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バンスカー・シュティアヴニツァ (スロバキア) |
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バンスカー・シュチャヴニツァの広場 | |
(英名) | Historic Town of Banská Štiavnica and the Technical Monuments in its Vicinity |
(仏名) | Ville historique de Banská Štiavnica et les monuments techniques des environs |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(iv) (v) |
登録年 | 1993年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
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バンスカー・シュチャヴニツァ(Banská Štiavnica, ドイツ語:Schemnitz シェムニッツ, ハンガリー語:Selmecbánya シェルメツバーニャ)は、スロヴァキアの古い鉱山都市である。2002年時点の人口は10600人である。1993年にユネスコの世界遺産に登録された。
中世からハンガリー王国における金、銀の鉱山の町として、14世紀の地震の被害や、トルコとの戦いの前線の街であったことなどの歴史をもつが、鉱山の町として繁栄した。
1627年には火薬による採掘がはじめて行われ、1762年にはマリア・テレジアによってヨーロッパ初の鉱山学校がこの地に設立された。鉱業生産は18世紀の半ばに最盛期を迎え、1782年には4万人ほどの人口のハンガリー王国で3番目の都市となった。
19世紀の後半から鉱業生産は衰退を始めた。
第一次世界大戦後、チェコスロヴァキアがオーストリア・ハンガリー帝国から分離すると、鉱山学校もハンガリーのショプロンに移り、その歴史はハンガリーのミシュコルツ大学に引き継がれている。
[編集] 登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。
- (v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状況にある場合における、ある文化(または、複数の文化)を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例。
[編集] 外部リンク
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