ヒカリデユール
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド系種 |
生誕 | 1977年3月6日 |
死没 | 年月日不明 |
父 | デュール |
母 | アイテイグレース |
生産 | キタノ牧場 |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
馬主 | 佐々洋→橋本善吉 |
調教師 | 飯野貞次(大井) 出川己代造→出川龍一(船橋) 野島豊(愛知) 須貝彦三(栗東) |
競走成績 | 45戦10勝(うち中央競馬7戦3勝) |
獲得賞金 | 2億3518万2800円 |
ヒカリデユールは日本の競走馬。1982年秋に地方競馬から中央競馬に移ってくると、その年の有馬記念を勝つなど活躍し、年度代表馬に輝いた。
[編集] 出自
母方の祖先をたどっていくと血統証明のないサラ系である。しかし、近親には強豪も多い。
祖母アイテイオーは優駿牝馬優勝馬。 3代母のキタノヒカリは朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)優勝馬で、兄弟には菊花賞と天皇賞(春)を優勝馬キタノオー、菊花賞優勝馬キタノオーザがいる。
[編集] 戦跡
デビューは大井競馬。しかしハイセイコーのような圧倒的強さを誇ったわけではなく、地方競馬らしくコツコツと戦い、勝利を挙げて賞金を重ねていった。5歳(旧表記)時代には東海公営の重賞、東海桜花賞を勝っている。
そんなヒカリデユールが中央競馬に移ってきたのは6歳の秋。中央入り初戦は朝日チャレンジカップだった。11頭立て7番人気、久しぶり、この年いまだ勝利なし…といった評価をあざ笑うように、重馬場で豪快な差し切り。続く秋の天皇賞でも、メジロティターンの2着と健闘した。
次走はジャパンカップ。この年第2回だったが、前年に日本の強豪ホウヨウボーイが簡単にひねられ、さらにジョンヘンリー(当時のアメリカ獲得賞金レコード保持馬)などの強豪が来るという評判で、軒並み日本馬は回避。その中でも5着と日本馬最先着を果たす。さらに、年末の有馬記念では前年の勝ち馬アンバーシャダイをアタマ差差し切る。秋のこの活躍が評価され、年度代表馬に輝く。
翌年も現役を続けた同馬は、平場オープン戦を3着、大阪杯1着と調子を上げてきていた。そして迎えた春の天皇賞でも3番人気に推され、管理していた須貝調教師も相当の自信を持ってレースに挑んだようだ。しかしながら、2周目の向正面で故障を発生し競争中止、競走能力喪失のため、引退することとなった。
ヒカリデユールの血統 プリンスキロ系/アウトブリード | |||
父
*デュール Duel 1961 黒鹿毛 |
Round Table 1954 鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose |
Cosquilla | |||
Knight's Daughter | Sir Cosmo | ||
Feola | |||
Lea Moon 1955 黒鹿毛 |
Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | |||
Lea Lark | Bull Lea | ||
Colosseum | |||
母
(サラ系)アイテイグレース 1967 栃栗毛 |
*ゲイタイム Gay Time 1949 栗毛 |
Rockefella | Hyperion |
Rockfel | |||
Daring Miss | Felicitation | ||
Venturesome | |||
(サラ系)アイテイオー 1960 黒鹿毛 |
*ハロウェー Harroway |
Fairway | |
Rosy Legend | |||
(サラ系)キタノヒカリ | トサミドリ | ||
(サラ系)バウアーストック ntbバウアーストック系 |