ファビオラ・ズルアガ
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ファビオラ・ズルアガ |
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基本情報 |
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英語名 | Fabiola Zuluaga |
国籍 | コロンビア |
出身地 | 同・ククタ |
生年月日 | 1979年1月7日 |
身長 | 172cm |
体重 | 64kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1994年 |
引退年 | 2005年 |
ツアー通算 | 5勝 |
シングルス | 5勝 |
ダブルス | 0勝 |
生涯通算成績 | 349勝245敗 |
シングルス | 298勝189敗 |
ダブルス | 51勝56敗 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | ベスト4(2004) |
全仏 | 4回戦(2004) |
全英 | 2回戦(2003) |
全米 | 3回戦(2003・04) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 16位 |
ダブルス | 128位 |
Template |
ファビオラ・ズルアガ(Fabiola Zuluaga, 1979年1月7日 - )は、コロンビア・ククタ出身の女子プロテニス選手。2004年の全豪オープンで準決勝に勝ち進んだ、当地最大の女子テニス選手である。シングルス自己最高ランキングは16位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。WTAツアーでシングルス5勝を挙げた。
1993年にプロ入り。1994年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのコロンビア代表選手となる。1997年の全仏オープンで4大大会の予選会に初挑戦したが、予選の3回戦で敗れて本戦出場を逃す。(予選会は、3試合を勝ち上がらないと本戦出場資格を得られない。)ズルアガは4大大会予選で3度涙を飲んだが、1998年の全米オープンでついに本戦出場を果たし、本戦の2回戦でアランチャ・サンチェスに挑戦した。1999年から4大大会の顔触れとして定着し、全仏オープンではリンゼイ・ダベンポートとの3回戦に勝ち進んでいる。同年にウィンブルドンの本戦にも初出場したが、1回戦でマリー・ピエルスに敗退する。2度目の全米オープンでは、2回戦でエレナ・デメンティエワに敗れた。
2000年には全豪オープン本戦にも初出場し、2回戦でジュリー・アラール・デキュジスに敗れたが、こうしてズルアガはコロンビアのテニスを世界に紹介し始めた。2000年のシドニー五輪のコロンビア代表選手にも選ばれ、女子シングルスでアランチャ・サンチェスとの3回戦まで進出する。同年10月に初来日し、「トヨタ・プリンセス・カップ」と「ジャパン・オープン」を連戦した。
その後故障でしばらくツアーを離れたが、2001年10月に復帰する。2003年のフェドカップで、コロンビア・チームは初めて最上位8ヶ国の「ワールドグループ」進出を果たした。2004年の全豪オープンで、ファビオラ・ズルアガはコロンビアの女子テニス選手として史上初のベスト4進出を成し遂げる。準々決勝でフランスのアメリ・モレスモが試合直前に故障を起こしたため、ズルアガは不戦勝で準決勝に進んだが、第1シードのジュスティーヌ・エナン・アーデンに 2-6, 2-6 で敗れた。この年は全仏オープンでもセリーナ・ウィリアムズとの4回戦に進出し、ここでも自己最高成績を出している。同年のアテネ五輪で2度目のオリンピック出場も果たし、シングルス3回戦でイタリアのフランチェスカ・スキアボーネに敗れた。
2005年1月17日付の女子テニス世界ランキングで、ファビオラ・ズルアガはコロンビア人選手として最高順位の「16位」にランクされたが、2005年全米オープンの2回戦でキム・クライシュテルスに敗れた試合を最後に現役を引退した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ファビオラ・ズルアガ - WTAツアーのプロフィール(英語)
- フェドカップ成績表