フアン・ルイス・ビベス
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フアン・ルイス・ビベス(Juan Luís Vives, 1492年3月6日 - 1540年5月6日)は、スペインのバレンシア生まれの人文学者で、教育者。彼は、異端審問の訴追を恐れてスペインを逃れ、1509年から1512年までパリで学び、1519年からベルギーのルーヴァンのカトリック大学で教育に携わった。 友人エラスムスの助力を得て、アウグスティヌスの『神の国』(De Civitate Dei)の膨大な注釈本をつくり上げ、これは1522年に刊行された。そのすぐ後、彼はイギリスのヘンリー8世から宮廷に招聘され、その娘メアリー1世の教育を任された。1523年、彼女のために『キリスト教女性の教育』(De ratione studii puerilis epistolae duae、1532年)を著している。 イギリスでは彼はオックスフォード大学の中のコープス・クリスティ学寮に寄宿した。彼はここで彼の法学の学位論文を書き上げ、哲学の講義も行った。彼は、国王にアラゴンのカタリナとの決別を説き、これによって王の機嫌をそこね、その保護を失うことになり、6週間の間大学の牢に幽閉される。
その後彼は、ブリュッセルに移り、その死に至るまでそこに留まった。亡くなったのは、ブリュージュにおいてである。彼は、数多くの著書を残しているが、その大半は、当時支配的であった教育観を批判するものであった。今日、彼の最も重要な著作は、De Causis Corruptarum Artium(「芸術の堕落する原因」?) といわれている。これは、フランシス・ベーコンの『ノウム・オルガヌム』(新機関)に匹敵する業績とみなされた。
[編集] 著作
- Contra Pseudodialecticos
- De Disciplinis
- De Causis Corruptarum Artium
[編集] 出典
- Encyclopædia Britannica 1911