フリオ・セサール・チャベス
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フリオ・セサール・チャベス(Julio César Chávez、1962年7月12日 - )メキシコ、オブレゴン出身のプロボクサー。
1984年~1989年にかけて世界タイトル3階級を制覇。 最多世界戦出場数37、観客動員数130,000人、歴代3位となる88連勝などボクシング史における数々の記録を打ちたて、更に全盛期には完璧な強さで絶大なる人気を誇った。記録と記憶に残るボクシング界のスーパースター。
[編集] 略歴
プロデビューは1980年。 地元を拠点に年間約10試合のハイペースで試合をこなしていき、1984年、マリオ・マルチネスを8RTKOに下してWBC世界S・フェザー級タイトル獲得。このタイトルは9度の防衛を果たし、1987年8月に返上。
タイトル返上から僅か3ヵ月後、エドウィン・ロサリオの持つWBA世界ライト級タイトルに挑戦。カウンターを得意とし、タイトルを2度獲得した強打の王者をチャベスは圧倒。11RTKO勝ちで2冠を達成した。
1988年10月、WBC王者ホセ・ルイス・ラミレスとの統一戦に勝利したチャベスはライト級王座を返上。
1989年5月、ロジャー・メイウェザーを10RTKOに下してWBC世界S・ライト級タイトル獲得。3階級制覇を達成。IBF王者メドリック・テーラーを残り2秒で逆転KOした王座統一戦、13万人という桁外れの観客動員数を記録したグレグ・ホーゲン戦など、4年半で12度の防衛を達成。さらにプロデビュー以来続いた無敗記録も88にまで伸びた。(20~40戦でキャリアを終えるのが一般的となっている現代で、この記録は驚異的である)。
無人の野を駆けてきたチャベスだが、やがて黄昏時を迎えることとなる。
1993年9月に4階級制覇を賭けてWBCウェルター級王者パーネル・ウィテカーと対戦。分の悪い引き分けで連勝記録はストップ。 1994年1月のS・ライト級13度目の防衛戦でフランキー・ランドールにプロ初のダウンを奪われ判定負け。チャベス無敗神話は崩壊した。 3ヵ月後の再戦でタイトル奪回したが、1996年6月、5度目の防衛戦で新進気鋭の人気ボクサー、オスカー・デラホーヤにいいところ無く打ちまくられ、激しい出血による4RTKO負けを喫した。
その後のチャベスは精彩を欠くこととなり、1998年3月に行われたミゲル・アンヘル・ゴンザレスとのWBC世界S・ライト級王座決定戦には12R引き分け。同年9月には4階級制覇をかけたオスカー・デラホーヤとの再戦も8R終了TKO負け。 2000年7月にはコンスタンチン・ズーの持つWBC世界S・ライト級タイトルに挑むが6RTKO負けとなり、これが最後の世界戦となった。
その後、引退を表明してはカムバックを繰り返しリングに上がり続けたが、2005年に引退した。
通算戦績 116戦108勝87KO6敗2分