フリードリヒ3世 (ドイツ王)
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フリードリヒ3世(美王)(Friedrich der Schöne、1286年 - 1330年1月13日)は、ハプスブルク家のオーストリア公、ローマ王(ドイツ王、対立王)。
神聖ローマ皇帝(ドイツ王)アルブレヒト1世の子で、1313年にルクセンブルク家のハインリヒ7世が死んだ後、ヴィッテルスバッハ家のルートヴィヒ4世と皇帝位を争ったが、選挙でルートヴィヒ4世に敗れた。その後数年間、弟レオポルトの助けを得てルートヴィヒ4世と戦い、勝利を目前としたが、1322年9月、ミュールドルフ近辺の戦いで大敗し、多くの貴族と共に捕虜となった。1325年まで捕囚の身だったが、妥協が成立し、ルートヴィヒ4世が神聖ローマ皇帝としてイタリアを治め、フリードリヒ3世がローマ王としてドイツを治めることになった。しかし、1326年にレオポルトが死ぬとフリードリヒはオーストリア公に戻り、1330年に亡くなった。
[編集] 子女
1314年にアラゴン王ハイメ2世の娘、イサベルと結婚。一男二女をもうけた。