ブライアン・ビロリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[[画像:|200px]] |
|
基本情報 | |
---|---|
本名 | ブライアン・ビロリア |
あだ名 | The Hawaiian Punch |
階級 | ライトフライ級 |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1980年11月24日 |
出身地 | ホノルル,ハワイ |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 20 |
勝ち | 19 |
KO勝ち | 12 |
敗け | 1 |
引き分け | |
無効試合 |
ブライアン・ビロリア(Brian Viloria, 1980年11月24日- )はアメリカ合衆国のプロボクサー。前WBC認定世界ライトフライ級チャンピオン。ハワイ生まれのフィリピン系二世アメリカ人。このクラスにしては破壊力のあるパンチを持つため、最強のハワイアンボクサーにのみ与えられる「The Hawaiian Punch(ハワイアン・パンチ)」の異名を持つ。2000年のシドニーオリンピックのライトフライ級米国代表。
世界挑戦前の亀田興毅の試合のビデオを見て「この選手が世界を取ることなんて無いでしょ。弱すぎるよ」と発言。
後日、世界タイトルを獲得した亀田の試合を見せると「何でこの試合で亀田が勝つの?」、「これで本当に世界チャンピオンなの?」と切り捨てた。
また、「もしも亀田選手が世界タイトルを獲得したら、僕と王座統一戦をやりましょう」と発言していることから、亀田戦に非常に乗り気である。
しかし、2006年8月10日、2度目の防衛戦でオマール・ニーニョ・ロメロにまさかの判定負けを喫し、王座転落。ビロリアと亀田の対戦が実現することは難しくなった。
[編集] 来歴
ブライアン・ビロリアは1980年ハワイ州ホノルルで生まれる。9歳の頃からボクシングを始め、アマチュアでは直ぐにその才能を開花させた。1995年、1996年の2回ジュニアオリンピックで優勝している。さらに1999年には全米アマチュアチャンピオンにもなり、シドニー五輪の代表になった。五輪出場後、2001年5月15日にプロデビューする。そのアマチュア時代の活躍から、プロデビュー後の注目度も高く早晩世界チャンピオンになるだろうと目されていた。2002年8月30日には空位のNABF全米フライ級タイトルを獲得。2005年9月10日にエリック・オルティスを1ラウンドKOで破りWBC世界ライトフライ級タイトルを獲得した。2006年2月18日には、WBC世界ミニマム級の王座を8度も防衛したホセ・アントニオ・アギーレを判定で下し、初防衛に成功した。
2006年8月10日に、ラスベガスで2度目の防衛戦を行うが、その際「今回の防衛戦に勝利したら年内に日本で亀田と戦う」と発言している。しかし、その防衛戦でオマール・ニーニョに判定で負け(117-112、118-110、117-111と、最大8ポイント差での完敗)、王座から陥落してしまった。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 関連記事
前王者 エリック・オルティス |
第24代WBC世界ライトフライ級王者 |
次王者 オマール・ニーニョ・ロメロ |
カテゴリ: ボクシング関連人物のスタブ項目 | アメリカ合衆国のボクサー | フィリピンのボクサー | ハワイ州の人物 | 1980年生