ブルックナーの版問題
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作曲家アントン・ブルックナーの作品、特に交響曲について、同じ曲名でありながら、異なる版・稿を称する複数の譜面が存在する。これらをブルックナーの版問題あるいは「版問題」と総称することがある。ここでは、その詳細を説明する。
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[編集] 背景
一つめの背景は、作曲者による改訂である。ブルックナーは作品を完成させてからもさまざまな理由から手を入れることが多かった。ここには、小規模な加筆もあれば、大掛かりな変更もある。改訂時期も、多岐にわたっているが、大規模な改訂は時期が集中しているとの見方もある。例えばノヴァークは「第1次改訂の波」「第2次改訂の波」という言葉で、この見解を説明している。
改訂理由としては、弟子の助言・初演拒否などの外的な理由がしばしば語られるが、それだけでは説明がつかないこともある。基本的には、ブルックナー自身の音楽的な欲求、作曲家としての性格が反映されたものであると考えられる。
二つ目の背景は、弟子の関与である。ブルックナーの楽曲が出版されるに際し、弟子たちが手を加えることが多かったといわれている。その規模は楽曲によって異なり、細かい校訂レベルのものもあったが、一部の曲では、長大すぎるために演奏機会に恵まれなかった師の作品を世に出そうと、弟子が大掛かりにカットを加えオーケストレーションの変更をしたりもした。 このほか、作曲者の改訂に助言・意見することもしばしばあったとされる。 のちに校訂・出版される「原典版」は、その弟子たちの加筆部分を明らかにすると共に排除し、ブルックナーの本来作曲しようとしたものを明らかにするものであったと言える。
三つ目の背景は、国際ブルックナー協会による原典版校訂作業を、当初ハースが行っていたが、戦後ノヴァークに変わったことである。ノヴァークはハースの校訂態度を一部批判し、校訂をすべてやり直した。このため「ハース版」「ノヴァーク版」2種類の原典版が存在することとなった。
[編集] 作曲者自身による改訂
[編集] 第1次改訂の波
[編集] 第2次改訂の波
[編集] 残された自筆稿・資料の取扱い
[編集] 出版譜
[編集] 初版
はじめて出版された譜面を「初版」と総称している。総じて弟子(シャルク兄弟とフェルディナント・レーヴェなど)の校訂または改訂が加わっている。「改訂版」とも称される。曲によっては「改竄版」とも称される。
[編集] 出版
これら初版群は、現在ではほぼ絶版である。日本では現在、一部の交響曲が、音と言葉社より出版されている。
[編集] その評価
後述の、国際ブルックナー協会による全集版(原典版)の登場により、駆逐され、長らく存在を無視されてきた。特に交響曲第5番・第9番の改訂は極端であり、ブルックナーの合意については疑問を呈する意見が強かった。
最近では、このような、行きすぎた「無視」「駆除」を見直す動きがある。その背景に挙げられるのは、例えば以下のような事情である。
- ブルックナーの没後に出版された「交響曲第5番」「交響曲第9番」と、それ以外の曲の、改訂の度合いの相違。
- ブルックナーの生前に出版された譜面に対して、ブルックナーが必ずしも否定していなかったという見解。
- 「交響曲第4番」の、第3稿作成に対するブルックナーの積極的な関与の判明、さらにはこの第3稿の、ブルックナー協会校訂譜としての出版。
- 国際ブルックナー協会による全集版(原典版)、特にハース版の問題点が明らかになった反動。
- 初版の時代背景考察。
[編集] 第1次全集版(ハース版など)
前記の初版群に含まれる弟子たちの関与を明らかにしそれを除去すべしという研究者の機運から、国際ブルックナー協会が創設された。ロベルト・ハースを中心に譜面の校訂・出版を続けた。出版は「Musikwissenschaftlichen Verlag」が行った。「原典版」と称して出版し続け、一定の成果をあげた。これらを「第1次全集版」または「ハース版」と称している。
ただしこのプロジェクトは、第2次世界大戦の中で作業が滞った上、ナチス・ドイツの協力を受けていたことにより戦後頓挫、ハースが国際ブルックナー協会を追放される結果となった。この時点で、校訂報告が残されてない曲も多数残ったほか、校訂・出版に至らなかった曲もいくつか残された(交響曲の中では「ヘ短調」「第0番」「第3番」は、第1次全集が残されなかった。このほかにもたとえば、「第4番」1887年稿の校訂・出版の計画がありながら実現しなかったとも伝えられる)。
ハースの仕事はその後、後述のノヴァークが引き継ぐことになるが、その中でノヴァークは、ハースの校訂態度の一部を主観的なものであると批判、例えば交響曲第2番・第8番などにおいては、作曲者が残した複数の稿を合成・折衷してしまっていると指摘した。
なお、ハースではなくアルフレート・オーレルが校訂した楽曲も多い。そのため、一部の楽曲を「オーレル版」と称することもある。
またハース失脚後、ハースの意志を尊重しエーザーが交響曲第3番を校訂した「エーザー版」があり、これを第1次全集の範疇に含めることもある。
なおハース版全てが、複数の稿を合成・折衷しているわけではない。交響曲第4番終楽章・交響曲第1番のように、作曲者自身による異稿を別個の譜面として残して出版したものもある。
[編集] 出版
ハース版は現在、ドーヴァー社・カルマス社などから出版されている楽曲も一部にあるが、入手困難な楽曲・稿も多い。
[編集] その評価
後述のノヴァーク版の登場により、次第にこのハース版の問題点が明らかになった。
例えば交響曲第2番・第8番などにおいては、作曲者が残した複数の稿を合成・折衷してしまっていると、ノヴァークは早くから指摘してきた。
また、交響曲第4番・第8番の一部には、旋律・楽器法などの点で、その根拠が不明な箇所があることが指摘されている。残された自筆稿その他の諸資料のどこにも、その根拠がみあたらない箇所があるため「ハースが補筆作曲したのではないか」との憶測すらなされている。
もっとも、ハースは、弟子の助言や要請による改訂部分を廃し、真にブルックナーが追求していた最終形を求めて校訂したとの見解を示し、ハース版に一定の評価を与える者も、決して少なくはない。特に、校訂という点で多くの問題が指摘される交響曲第8番のハース版は、曲のスタイルという点では肯定的に受け止める演奏者・指揮者は、決して少なくない。
[編集] 第2次全集版(ノヴァーク版など)
第二次世界大戦後、国際ブルックナー協会はレオポルト・ノヴァークに校訂をさせた。ブルックナーの創作形態をすべて出版することを目指しているとされる。これらを「第2次全集版」または「ノヴァーク版」と称している。交響曲第3番・第4番・第8番については早くから、改訂前後の譜面が別々に校訂・出版されており(第3番は3種)、その部分においてはハース版の問題点は解消されている(これらの区別のために「第1稿」「第2稿」あるいは「~年版」などの呼び方がなされる)。
1990年以降、キャラガンなどが作業を引き継ぎ、現在に至るまで、校訂や異稿の出版は進行中である。近年ではキャラガン校訂による交響曲第2番の第1稿と第2稿、コールズ校訂による交響曲第9番、コースヴェット校訂による交響曲第4番(第3稿)が出版された。
[編集] 出版
現在、国際ブルックナー協会による譜面はMusikwissenschaftlichen Verlagから出版されている。一部の楽曲は、オイレンブルク・音楽之友社などからも出版されている。
[編集] その評価
[編集] 演奏者による版・稿選択
演奏者が実際に、ブルックナーの交響曲を演奏する際に、どの版・稿を選択しどのように演奏するか、その考え方や実情には一貫した傾向があるわけではなく、ケースバイケースと言うほかない。以下の説明は、その背景・現状のいくつかを列挙したものである。
- ノヴァーク版(またはその後登場した新しい校訂譜)で演奏するとき、オーケストラが使用する譜面(パート譜)は、基本的には、国際ブルックナー協会からレンタルする必要がある。一方、ハース版・改訂版は、古いリプリント譜が安価で市販されていることがあり、楽団がその譜面を購入・所有している、あるいは友好関係にある楽団から借用使用する状況がありえる。
- 概して、版・稿問題に強い拘りを見せる指揮者と、それほどではない指揮者がいる。前者の場合、複数の版・稿のスコアを比較検討した上で、使用する版・稿を指定することもあるし、特定の版・稿に固執することもある。後者の場合、「単純に、最もあたらしい校訂譜(ノヴァーク版)を使用する」場合もあれば、「たまたま入手した譜面を使用する」場合もある。
- 冷戦時代(東西ドイツ分裂時代)には、ノヴァーク版はウィーン、ハース版はライプツィヒより出版され続け、西側ではハース版譜面が入手できず、一方東側ではノヴァーク版譜面が入手できない状況にあった。この影響で、西側の指揮者やオーケストラはノヴァーク版を、東側指揮者やオーケストラがハース版を使う傾向にあると指摘する研究者もいる。
- 指揮者が版・稿に強く拘らない場合、とりあえず入手できたパート譜に対して、指揮者がどうしても気になるスコアとの相違点のみ変更を指示して修正対処する、ということもある。例えば第7交響曲で、ハース版または改訂版のパート譜を用いながら、部分的にノヴァーク版に従って修正する例がある(その結果例えば、第1楽章のオーケストレーションがハース版だが第2楽章の打楽器の追加はノヴァーク版、といった状況が起こりえる)。また第8交響曲で、ハース版を用いながら、第3楽章・第4楽章のカットのみノヴァーク版に従っている例がある。こういった処置は、CDの解説書で丁寧に解説されていることはほとんどない(著名指揮者の著名録音での処置は、評論家の書籍などで解説されていることがある)。CDのヒアリング上は、複数の版・稿を折衷した演奏に聞こえる。
- 特に交響曲第4番で顕著な現象だが、第2稿(ハース版またはノヴァーク版)を用いながらも、部分的に第3稿に倣った改編(強弱の表情、旋律のオクターブ上昇、シンバルの追加など)を、指揮者があえて指示することがある。この形での録音も複数残されている。これもCDのヒアリング上は、複数の版・稿を折衷した演奏に聞こえる。
- 一方、指揮者が版・稿に拘りを見せたり、独自の校訂した譜面を用いる場合も、もちろん少なくない。
[編集] 作品別の問題
[編集] ヘ短調交響曲
[編集] 交響曲第0番ニ短調
[編集] 交響曲第1番ハ短調
[編集] 交響曲第2番ハ短調
[編集] 交響曲第3番ニ短調
[編集] 交響曲第4番変ホ長調
[編集] 交響曲第5番変ロ長調
[編集] 交響曲第6番イ長調
[編集] 交響曲第7番ホ長調
[編集] 交響曲第8番ハ短調
[編集] 交響曲第9番ニ短調
[編集] 外部リンク
- Anton Bruckner Symphony Versins Discography - 自主制作盤や海賊盤なども含む、ほぼ完全なディスコグラフィが曲別、版別、稿別に掲載されている海外のサイト。
- Bruckner Fan Homepage - ファンサイト。
- ブルックナーの交響曲第4番の版について - アマチュア・オーケストラに参加する個人のサイト。第4番の各版の経緯と相違点について譜例・音源付きで紹介されている。
- Musikwissenschaftlichen Verlag - 国際ブルックナー協会によるスコアの出版元。出版されている楽曲や稿が確認できる(海外)。
- Bruckner Symphony Versions - 交響曲の版・稿についてまとめている、個人サイト(海外)。
- The Several Versions of Bruckner's Symphonies - 交響曲の版・稿についてまとめている、個人サイト(海外)。