プーと大プー
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「プーと大プー」は、チベット語で「プー・タン・プーチェンボ(bod dang bod chen po)」といい、チベット人自身による チベット全域に対する区分方法の一つ。 スムパ ・ケンポ著『パクサムジョンサン』(1747年成立)では、「小プーと大プー」(プーチュン・タン・プーチェン, bod chung dang bod chen)とも表現されている。
この場合、「プー(小プー)」とは中央チベット(現西蔵自治区の大部分)、「大プー」は、アムド地方・カム地方から成るチベット東部(西蔵自治区東部のチャムド地区・四川省ガパ州・雲南省デチェン州などから成るカム地方と、 青海省全域・ 甘粛省ケンロ州・四川省ガパ州などからなるアムド地方)を指す。
アムド東部(甘粛省ケンロ州)の チョネの領主が チベット大蔵経を開版した際に執筆させた開版縁起(1773年成立)の中には、「プーと大プー」をはじめ、チベット全域を示す表現が各種列挙されている。
「(前略)このように、雪ある国 (kha ba can gyi yul) の中心に」と説かれているような、無数の福徳のある国 (yon tan mtha' yas pa dang ldan zhing) 、無数の仏と菩薩が加持した土地 (sangs rgyas dang byang chub sems dba' grangs med pas byin gyis brlabs pa'i gnas) 、涼しき国 (bsil ldan gyi ljongsl) 、もしくは『無垢光明天女授記経』に赤き顔の人の国 (gsong ddmar can gyi yul) と説かれているこの国において、三チョルカとかプーと大プーと呼ばれているうちの、馬のチョルカ・ドメー、大プーとは、チベット中にありふれている類書に「西方の池のごときガリ三域と、中央の水路のごときウー・ツァン四翼と、東方の耕地のごときドカム六高地」などと説かれている中の後者である。
以下、「馬の州ドメー」、「大プー」、「ドカムの下手」に位置するチョネに関する説明が続いている。