カム (チベット)
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カム, ,はチベットの東部地方。
元、明代中国の地理史料では、アムドとともに「吐蕃」の「朶甘」と一括して呼ばれた。
現在は中華人民共和国西蔵自治区東部・青海省東南部・四川省西部・雲南省北西部に分割されている。
この地方の住民はチベット語で「カムパ(=「カムの人」の意)」と称する。外国文献の一部には、これを種族名と理解してカムパ族と表記する例が見られる。
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[編集] 歴史
1724年、清朝がグシ・ハン王家の内紛に乗じてチベットを征服した際、従来グシ・ハン王朝に服属していたカム地方の諸侯は、ダライラマ領(西蔵)、四川、雲南、青海の各地に分属させられ、分割統治をうけることとなった。
1905年、四川総督の趙爾豊は、この地方をより強固に掌握するため、諸侯領を廃止し、この地方に「省」を設けようとこころみたが、諸侯の武力抵抗を引き起こした。
1913年以降は、チベット全土の統合を目指すチベット政府と中華民国との抗争の最前線となった。
中国人民政府の統治下では、アムド地方の一部とあわせ、東部に「西康省藏族自治区」がもうけられたが、1955年以降、「民主改革」「社会主義改造」をこの地方に実施しようとするのにともない、ガパ州とカンゼ州に分割され、四川省に組み込まれた。
「民主改革」「社会主義改造」に対する反発から、1956年以降、大規模な反乱が勃発、中国人民解放軍による反撃に敗れた各地の抵抗軍は、西蔵に逃れて統一抗中組織を結成、西蔵を舞台としてゲリラ活動を続け、チベット政府をも巻き込むチベット動乱の引き金となった。
この地方のチベット系はいくつかの民族に分割して民族識別されている。 省部に近い為、漢族の入植が進んでいる。
[編集] 管理
カムは、合計50の現代の郡から成る、中国の地方の間で配布する[ [四川] ](16の郡)[ [雲南] ](3つの郡)、そして、[ [青海] ]東の部分と同様に(6つの郡)の[ [西蔵自治区] ](25の郡)。
[編集] 地理
カムは、ゴツゴツした地形を北西から南東まで山の峰と谷間ランニングによって特徴づけておく。 メコン川、揚子江、Yalongチャンとサルウィンを含む多数の川は、カムの中を流れる。
[編集] 参考文献
- Andreas Gruschke: The Cultural Monuments of Tibet’s Outer Provinces: Kham, 2 vols., White Lotus Press, Bangkok 2004/2005, ISBN 9744800496
- Tsering Shakya: The Dragon in the Land of Snows. A History of Modern Tibet Since 1947, London 1999, ISBN 0140196153
[編集] 外部リンク
- The East Tibet Website
- Kham Tibetan language materials
- Kham Aid Foundation - assistance programs and general travel info