ヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケ
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ヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケ(Helmuth Johann Ludwig von Moltke, 1848年5月25日 - 1916年6月18日)は、ドイツ帝国の軍人。同名の叔父で、大モルトケと区別して、小モルトケと呼ばれる。シュリーフェン・プランを修正実行し、自らの先入観で第一次世界大戦を事実上開始した。
[編集] 生涯
1848年生まれ。1875年に士官学校入学。1880年より参謀本部で勤務する。
アルフレート・フォン・シュリーフェンの後任として、1906年からドイツ国軍参謀総長を務める。 シュリーフェン・プランの修正案を立案し実行した、それをもって第一次世界大戦初期の攻勢を行った。しかし、シュリーフェンの「右翼を厚く」という遺言にもかかわらず、むしろ均等にわりふり、中央部を厚くした。このため右翼をやや小さくし、回転半径も小さくした。そしてプランそのもののダイナミズムが削がれた。結果的に攻勢は失敗。その責を負って、1914年9月に参謀総長を辞任。
[編集] 外部リンク
- ヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケに関する文献案内 - ドイツ図書館 Die Deutsche Bibliothek, DDB のカタログ
- http://www.dhm.de/lemo/html/biografien/MoltkeHelmuth/
- http://www.preussenchronik.de/cache/person_c25007.html
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