アルフレート・フォン・シュリーフェン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルフレート・グラーフ・フォン・シュリーフェン(Alfred Graf von Schlieffen, 1833年2月28日 - 1913年1月4日)は、ドイツの軍人。元帥。大モルトケの二代あとの、ドイツ国軍参謀総長(1891~1905)
戦術家であり、第二次世界大戦に至るまで使われ続けた、対仏侵攻作戦「シュリーフェン・プラン」の考案者。
[編集] 伝記
1833年2月にベルリンでプロイセン軍将校の息子として生まれる。軍に入ってまもなく軍参謀に移り、1866年の普墺戦争、1870年~1871年の普仏戦争に参加した。
1888年陸軍参謀次長、1891年にアルフレート・フォン・ヴァルダーゼーの後をついで同総長となった。
1905年にシュリーフェン・プランを考案。その後の軍人人生は、プランを実用するために求められる指揮知識を教え込むことに費やした。シュリーフェン・プランは、彼の後継者となった小モルトケによる右翼冷遇がなければ、有効性を示しえただろうと考えられている。
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | 人物関連のスタブ項目 | ドイツの軍人 | 1833年生 | 1913年没