ペドロ・アルヴァレス・カブラル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペドロ・アルヴァレス・カブラル(Pedro Álvares Cabral, 1467/1468年 - 1520年)は、ポルトガル王マヌエル1世に顧問官として仕えたキリスト騎士団の一員で、彼が隊長として率いた第2回インド遠征隊は1500年4月22日、ブラジルに「漂着」した。
- 第1回インド遠征隊を率いたのはヴァスコ・ダ・ガマ。
- ブラジルに到着したのは、実際にはスペイン人ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンのほうが1500年1月で早かったが、彼はここをインドだと思い込んでしまい、「ブラジル到達者」としてはカブラルのほうが知られているという。
[編集] 遠征航海
- 1500年3月8日、13隻の大編成で西を目指してテージョ川を出帆
- 1500年4月22日、陸地を「発見」。漂着したバイーア州(Bahia)ポルトセグロ(Porto Seguro)を「イリャ・デ・ヴェラクルス(Vera Cruz島)」と命名し、ポルトガル領と宣言した。(のちの「サンタ・クルスの地(Terra da Santa Cruz)」)
- カブラルの艦隊に同行していた貿易商たちは、「ブラジル木」(パウ・ブラジル(Pau-Brasil);赤色染料の原料となる植物)を見つけて、この地を“ブラジルの地”と呼び、これが今日の呼び名「ブラジル」の語源にもなった。
- インドに到達。
- 東洋産の香料を得て、ポルトガルに帰帆。