ボールドルーラー
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1954年4月6日 |
死没 | 1971年7月12日 |
父 | ナスルーラ |
母 | ミスディスコ |
生産 | ホイートリー・ステイブル |
生国 | アメリカ合衆国 |
馬主 | ホイートリー・ステイブル |
調教師 | J.E.フィッツサイモン |
競走成績 | 32戦23勝 |
獲得賞金 | 764,204ドル |
ボールドルーラー(Bold Ruler)は、アメリカの競走馬。同世代のギャラントマンやラウンドテーブルら強力なライバルを相手にプリークネスステークス、トレントンハンデなどに勝ち、1957年アメリカ年度代表馬に選ばれた名馬である。種牡馬としても大成功し、計8回のアメリカリーディングサイアーに輝いた。代表産駒はアメリカクラシック三冠セクレタリアト。馬名は大胆な支配者の意。
[編集] 戦績
ボールドルーラーの2歳時は10戦7勝。当初はスプリンターだと思われており、実際に短距離の方が強かった。距離が伸びたガーデンステートステークスとレムゼンステークスはいずれもいいところ無く惨敗している。
翌年のクラシック戦線はギャラントマン、ラウンドテーブル、アイアンリージ等強力なライバルを相手に戦った。フラミンゴステークスにて9ハロン戦も克服し、ウッドメモリアルステークスでは、ギャラントマンとの激戦をハナ差制した。この勝利でケンタッキーダービーでは一番人気に押され、以下前走ブルーグラスステークスを圧勝したラウンドテーブル、3番人気にはギャラントマンの順。だが、伏兵アイアンリージがギャラントマンを押さえて1着でゴール、ボールドルーラーは離された4着に終わった。続くプリークネスステークスではギャラントマン、ラウンドテーブルが回避したためアイアンリージを相手に逃げ切りの勝利を収めている。そしてベルモントステークスではギャラントマンの大差3着に終わり、クラシック戦線を終えた。
しばしの休養を経て秋に復帰したボールドルーラーは順調に勝ち星を重ねていた。年末のトレントンハンデキャップには3強がそろい久々の対決に注目が集まった。ボールドルーラーは2馬身と1/4差でギャラントマンを抑え、3強の中でも最強の名声を獲得する。この年は年度代表馬に選出された。
翌年も重ハンデにめげず8戦6勝と調子よく勝ち進んだ。ギャラントマンとの最後の対決となったメトロポリタンハンデキャップでは負け、夏のブルックリンハンデキャップにて故障を発生し引退した。ラウンドテーブルとは1勝1敗、ギャラントマンとは5勝3敗と勝ち越した。
[編集] 種牡馬成績
これほどの成績を残したボールドルーラーだったが、種牡馬としても現役時代を凌ぐ名声を得た。産駒がデビューして2年目にはいきなりアメリカリーディングサイアーになり、1963-69,73年の計8回リーディングサイアーを獲得した。数多の名馬を輩出したボールドルーラーだったが、その中でもセクレタリアトは突出している。
[編集] 血統表
ボールドルーラーの血統 (ナスルーラ系/4代内アウトブリード) | |||
父
Nasrullah 1940 鹿毛 |
Nearco 1935 黒鹿毛 |
Pharos | Phararis |
Scapa Flow | |||
Nogara | Havresac | ||
Catnip | |||
Mumtaz Begum 1932 鹿毛 |
Blenheim | Blandford | |
Malva | |||
Mumtaz Mahal | The Tetrarch | ||
Lady Josephine | |||
母
Miss Disco 1944 鹿毛 |
Discovery 1931 栗毛 |
Display | Fair Play |
Cicuta | |||
Ariadne | Light Brigade | ||
Adrienne | |||
Outdone 1936 鹿毛 |
Pompey | Sun Briar | |
Cleopatra | |||
Sweep Out | Sweep On | ||
Dugout F-No.8-d |
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