マイティ・モー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マイティ・モー("Mighty" Mou Siliga、1973年10月8日 - )は、キックボクサー。身長185cm、体重127.0kg。シャークタンクジム所属。右のパンチは強力で一撃でKOするだけの威力がある。「サモアンフック」「怒涛のサモアン・フック」の異名をもつ。
また、屈強なことで知られるサモア人の中でも特に強いため、サモア人を漫画ドラゴンボールのサイヤ人にかけ、「スーパーサモア人」とも呼ばれる。マイティ・モーのほかにスーパーサモア人と呼ばれる選手には、マーク・ハントがいる。
[編集] 経歴
- K-1 BURNING 2004 ~沖縄初上陸~で、曙率いる世界連合軍の一人として初参戦。ワンマッチの試合で堀啓をKOした。
- K-1 WORLD GP in Las Vegas 2004~世界地区予選A~でGP初参戦。一回戦で新世代のファイターとして名前が挙がるカーター・ウィリアムスに3Rで逆転TKO勝利を収め、注目される存在となる。この大会では準決勝でデューウィー・クーパーに判定負けを喫し、トーナメント出場権を逃すものの、K-1 WORLD GP in Las Vegas~世界最終予選~では3試合中2試合で得意の右の力を存分に発揮しKO勝利を収め、GP開幕戦への切符を手にする。
- GP開幕戦では「剛力王」ゲーリー・グッドリッジに1R KO勝利を収め、GP決勝戦での台風の目と言われていたが、1回戦でガオグライ・ゲーンノラシンに右のジャンピングハイキックを浴び、KO負け。準々決勝で姿を消した。
- K-1 WORLD GP in Las Vegas 2005ではレミー・ボンヤスキーとワンマッチで対戦、2003・2004年とK-1 GPを連覇しているボンヤスキーを判定ながら退ける金星を挙げた。
- そしてK-1 WORLD GP in Las Vegas 2005Ⅱでは元IBFヘビー級チャンピオン(ドーピングですぐに剥奪されており記録に残っていない)で、パンチのスペシャリストであるフランソワ・ボタを拳1つで秒殺した。しかし、GP開幕戦でピーター・アーツに敗れ、またも姿を消すことになってしまった。
- モーには子供が8人おり、大家族を支える父親として闘っている。
- 2006年からボクシングに転向しプロデビューを果たすが、デビュー戦で39歳の無名6回戦ボクサーに顎を割られ、0-3の判定負け。しかし、半年後の2試合目では4回戦ボクサーを相手に1R KOで初勝利。
- 2007年3月4日、横浜アリーナでチェ・ホンマンと対戦。ホンマンにサモアンフック一撃で初めてKOで黒星をつけた。
- 2007年3月12日、名古屋レインボーホールでキム・ミンスと対戦。ミンスも同じくサモアンフックで撃破。
- この試合の前日、マイティは佐藤嘉洋の父親が経営する喫茶店にタクシーで立ち寄り、佐藤オススメのハンバーグ等をペロリと食べ尽くした。その後子ども達のお土産を買いにアーケード街のとある店へ出向き、試合前日であるにも関わらず日本酒をどんどん飲んで店を出る時には顔を真っ赤にしていた。だが、翌日の試合では飲酒の影響を微塵も見せず、上記の結果を残した。
- 「ビルの倒壊に巻き込まれて下敷きになったにも拘らず無傷だった」という伝説があるが、実際には、瓦礫の下敷きになった同僚を必死に助けたということである。だが、常人ならとても1人で行えるような作業ではなかったため、「マイティ」と呼ばれるようになった。
[編集] 主な獲得タイトル
- K-1 WORLD GP 2004 in LasvegasⅡ 優勝
- K-1 WORLD GP 2004 ベスト8
- K-1 WORLD GP 2006 推薦枠ファン投票 6位