マーク・ハント
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マーク・ハント | |
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基本情報 | |
本名 | |
あだ名 | サモアの怪人 |
階級 | PRIDEヘビー級 |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1974年3月23日 |
出身地 | ![]() |
現居住地 | ![]() |
スタイル | キックボクシング |
戦績 | |
総試合数 | 8(PRIDE) 07/1/1現在 |
総勝利数 | 5 |
KO勝ち | 3 |
一本勝ち | 0 |
判定勝ち | 2 |
総敗北数 | 3 |
KO負け | 0 |
一本負け | 3 |
判定負け | 0 |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
マーク・ハント(Mark Hunt、1974年3月23日 - )は、ニュージーランド出身のキックボクサー、総合格闘家。身長178cm、体重127kg。
K-1オセアニア地区予選を2000年、2001年と2連覇し、2000年2月のK-1オセアニア地区予選でのデビューから、僅か2年足らずで、K-1 WORLD GP 2001を制し、欧州以外、また地区予選から勝ち上がった最初のGP優勝者となった。タフネスぶりと積極果敢なファイトスタイルから、「サモアの怪人」という異名を持つ。敗者復活をかけたK-1福岡大会(2001年10月8日)のレイ・セフォーとの対戦で見せたノーガードからの殴り合いは観客に強く印象付けられた。
また、屈強で知られるサモア人の中でも特に実力が高いため、漫画ドラゴンボールのサイヤ人をもじり、「スーパーサモア人」と呼ばれることもある。もう一人の「スーパーサモア人」はマイティ・モーである。
尚、以前、髪を金髪に染めたハントに記者が理由を聞いたところ、ハントは「スーパーサイヤ人さ」と述べていた。
目次 |
[編集] 来歴
2000年にK-1オセアニア予選で初登場。その予選に優勝。続いて、名古屋でのグランプリ予選に出場。準々決勝でジェロム・レ・バンナと対戦、判定で敗れる。
2001年、6月のメルボルン大会に出場。準々決勝で天田ヒロミをKOで下す。準決勝でアーネスト・ホーストからスリップ気味のダウンを奪ったが(試合後、ダウンではなかったと裁定)判定負けし、グランプリ出場の道は閉ざされた。しかし、福岡で行われた敗者復活戦にミルコ・クロコップの代替として出場、再びグランプリ出場の道が開けた。レイ・セフォーに判定負けしたが、勝利したレイ・セフォーが負傷のため、ハントが決勝進出の権利を手にする。そして、アダム・ワットにTKO勝利して、東京ドームの決勝大会への切符を手に入れた。
東京ドームの決勝大会で、ジェロム・レ・バンナをKOで破ると、ステファン・レコ、フランシスコ・フィリォを判定で破り、K-1 WORLD GP 2001を制す。
2002年以降は低迷が続き、2002年初戦の静岡大会で、勝利こそしたものの、中迫剛に生涯初のダウンを奪われる。その後、名古屋大会でミルコ・クロコップにダウンを奪われ判定負け、パリ大会ではジェロム・レ・バンナと壮絶なダウン応酬の末にTKO負けとその年は連敗した。開幕戦ではマイク・ベルナルドに延長1R判定勝ち。東京ドームの決勝トーナメントでは準々決勝でステファン・レコにKO勝ちするも、準決勝ではジェロム・レ・バンナと三度目の名勝負を繰り広げ判定負け。グランプリ連覇はならず。ハントは「バンナとはいつもタフな試合になるね」と感想をのべた。
2003年にはラスベガス大会で、ゲーリー・グッドリッジと対戦。「豪腕対決」と期待されるが、見せ場のないまま判定勝利。
2004年になると、闘いの場をK-1から総合格闘技PRIDEに移す。初参戦となった吉田秀彦戦では敗れた。2004年12月31日には、当初欠場が決まっていた『PRIDE 男祭り 2004 -SADAME-』に桜庭和志の怪我による代役として急遽出場し、ヴァンダレイ・シウバに3R判定の末勝利し、(体重差があったとは言え)PRIDEのリング上で初めてシウバに黒星をつけた。
2005年12月31日の『PRIDE 男祭り 2005 -ITADAKI-』では、1年ぶりの出場という試合間隔をものともせず、ミルコ・クロコップに白星をあげ、K-1時代のリベンジを果たす。
2006年2月26日のPRIDE.31では、西島洋介をKOで下す。
PRIDEで新たに開催されることとなった無差別級トーナメント出場が決まり、2006年5月5日の『PRIDE 無差別級 GP 2006 開幕戦』では高阪剛と対戦しKO勝利を収め、ベスト8に進出した。
2006年7月1日の『PRIDE 無差別級 GP 2006 2ndROUND』ではジョシュ・バーネットと対戦、一方的にやられ、1R2分2秒、羽根折固めで一本負け。
2006年12月31日の『PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU-』のメインでエメリヤーエンコ・ヒョードルとのヘビー級タイトルマッチ。試合開始早々、ヒョードルがテイクダウンし、そのまま腕ひしぎの体勢になるが、ハントは身体を上手く回転して脱出、そのまま上のポジションを取り、アームロックをしかけるなど反撃。スタンドでの攻防では互角に殴り合う場面もあったが、テイクダウンを奪われアームロックで一本負け。
[編集] 戦績
8戦5勝3敗
2戦0勝1敗1分
題目 | 日付 | 勝敗 | 勝敗内容 | 対戦相手 | 国籍 |
1 | 1998年8月21日 | 負 | 3R判定 | ジョン・ワイボーン(3勝6敗) | オーストラリア |
2 | 2000年4月23日 | 引き分け | 4R判定 | ジョー・アスキュー(8勝0敗、36歳) | オーストラリア |