ミシェル・ウィー
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ミシェル・ウィー | |
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各種表記 | |
ハングル: | 위성미 |
漢字: | 魏聖美 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
ウィソンミ |
ラテン文字転写: | Michelle Wie / Wi Seongmi |
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ミシェル・ウィー(Michelle Wie, 1989年10月11日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身の韓国系アメリカ人の女子ゴルファーである。韓国語名はウィ・ソンミ(위성미、魏聖美)。
女子ゴルフ界において存在感の大きい若手スター選手。
目次 |
[編集] プロフィール
- 大韓民国出身の両親の間に生まれる。
- 母語は英語だが韓国語もかなり流暢。
- 長身を生かした抜群の飛距離を大きな持ち味とする。
- 身長183cm、体重65kg。
- 父親は、ハワイ大学の教授を務めている。
- ハワイ州オアフ島のプナホウ高校在学中。2007年に同校卒業後、同年秋、スタンフォード大学入学予定。
- かなりの日本通(知日派)で、日本のお笑いも大好き。日本語も流暢に話せる。日本の慈善事業への寄付を行ったこともある。
[編集] 略歴
[編集] アマチュア
4歳からゴルフを始め、父親の指導を受ける。5歳の時にはドライバーショットで100ヤード飛ばしたという。2002年からプロ選手のトーナメントに挑戦を始める。2004年1月、故郷の大会である「ソニーオープン・イン・ハワイ」でPGAツアーの男子大会に出場する。2日間を「72・68」のスコアで回り、第2ラウンドを60台のスコアで回ったことで注目を集めたが、予選通過ラインに1打及ばなかった。同年3月のクラフト・ナビスコ選手権で4位入賞。これらの活躍を評価され、14歳のアマチュア選手でありながら、5月に第5回「ローレウス・スポーツ賞」の「最優秀新人賞」を授与された。そして全米女子オープンでは、過去に前例のない「予選免除」での出場を認められた。
2005年には全米女子プロゴルフ選手権で主催者推薦出場を認められ、15歳にして2位入賞。7月第3週に行われた男子のアマチュア大会「全米アマチュア・パブリック・リンクス」にて準々決勝進出。(この大会の優勝者にはマスターズの招待資格が与えられるため、ウィーは女子選手初の同大会出場を狙っていた)全英女子オープンにも「特別招待選手」として出場し、3位に入った。
[編集] プロ
2005年10月5日、16歳の誕生日の6日前にホノルルでプロ転向を表明した。プロ転向初戦となった「サムソン・ワールド・チャンピオンシップ」ではスコアの過少申告(第3ラウンド、7番ホール)で失格となる。11月に高知県の「Kochi黒潮カントリークラブ」で行われた日本ゴルフツアーの男子大会「カシオワールドオープン」でも、4オーバーパー(+4, 148ストローク)で予選を通過できなかった(2006年大会も参戦したが通算17オーバーパーで予選落ちになっている)。
女子プロゴルフ協会(LPGA)のルールでは「18歳未満の選手を賞金ランキングに記載しない」規定があり、ウィーは2007年10月ころまで(ツアーのルール上)いくらかの出場試合制限がある。アメリカの雑誌フォーブスが選出した2006年版の「世界の名士100人」に最年少で選出され、そこで2005年6月からの1年間で1700万ドルを得たと報じられた。これは女子スポーツ選手としてはマリア・シャラポワに次ぐ2番目の高収入である。
[編集] 関連項目
カテゴリ: アメリカ合衆国のゴルファー | 韓国系アメリカ人 | 1989年生