ミノス
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ミノスは、ギリシア神話に登場するクレタの王。クノッソスの都を創設し、宮殿を築いてエーゲ海を支配したとされる。ミノア文明という名称はミノスに由来している。ヘロドトスやトゥキディデスはミノスを実在の人物と考え、プルタルコスはミノスの子ミノタウロスを怪物ではなく将軍の一人だとする解釈を示している。
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[編集] 神話
ミノスにまつわる神話は諸説あるが、代表的なものを以下に示す。
[編集] ミノスの出生
ミノスはゼウスとエウロペの子。エウロペと牡牛に身を変えたゼウスの逸話は、牡牛座にまつわる神話として知られる。ミノスの兄弟にはラダマンテュスとサルペドンがいる。エウロパはクレタ王アステリオスの妻となり、ミノスはアステリオスの下で成人した。ミノスはヘリオスの娘パシパエを妻とし、パシパエとの間にカトレウス、デウカリオン(トロイア戦争の勇将イドメネウスの父)、アンドロゲオス、アリアドネ、パイドラらの子供をもうけた。
[編集] クレタの王位に就く
アステリオスが死んだ後、クレタ王の後継をめぐって、ミノスは長子である自分が継ぐべきと主張し、ラダマンテュスは法と秩序を守る立場からこれを支持した。しかし、サルペドンは納得せず、争いに敗れて小アジアに逃れ、リュキア王になったという。
[編集] ミノタウロス誕生
このとき、ミノスは王位継承の証として牡牛を海から送ってくれるようにポセイドンに祈り、その牡牛を生贄として捧げることを誓った。ポセイドンはこれに応えてミノスに牡牛を送った。しかし、ミノスは送られた牡牛があまりに美しかったため、欲を出して別の牛を生贄とした。ポセイドンは怒り、仕返しに王妃パシパエが牡牛に恋情を抱くようにした。悩んだパシパエはダイダロスに相談し、木製の雌牛の張りぼてを製作してもらい、これを使って牡牛への思いを遂げた。やがてパシパエは子供を産んだが、その子供は人間の体に牛の頭が乗った怪物ミノタウロスだった。ミノスはダイダロスに命じて迷宮ラビリントスを作らせ、ミノタウロスを閉じこめた。
[編集] テセウスのミノタウロス退治
このころ、アンドロゲオスがパンアテナイ祭に優勝したところ、アテナイ人の妬みを買って殺されるという事件が起こり、ミノスは兵を率いてメガラとアテナイを攻めた。メガラはアテナイ王アイゲウスの兄弟ニソスが治めていたが、王女スキュラの裏切りでニソスが殺されて落城し、アテナイも飢饉と疫病に苦しめられてついに降伏した。アテナイは賠償として、9年ごとにクレタに7人の少年少女を貢ぐことを約束させられた。少年少女はミノタウロスへの生贄であった。3回目のとき、貢ぎ物の中に入り込んだテセウスがミノタウロスを殺し、王女アリアドネの助けを借りて迷宮から脱出した。
[編集] イカロスの翼とミノスの死
ミノスは、アリアドネに知恵を授けたダイダロスを罰してラビリントスに幽閉した。一説には幽閉したのは高い塔であったともいう。ダイダロスは鳥の羽を蝋で固めた翼を身につけて空を飛ぶことに成功し、脱出してシチリアに逃れた。このとき、ともに脱出したダイダロスの息子イカロスは太陽に近づきすぎて蝋が溶けて墜死した。ミノスはシチリアまで追跡したが、コカロス王の娘たちがダイダロスを庇い、ミノスは入浴中に熱湯を浴びせられて死んだ。