テセウス
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
テセウスはギリシア神話に登場する伝説的なアテナイの王。ミノタウルス退治などの冒険譚で知られる。ソポクレスの『コロノスのオイディプス』では憐み深い賢知の王として描かれる。プルタルコスの『英雄伝』では古代ローマの建国の父ロムルスと共に偉大な人物として紹介されている。
[編集] 伝説
テセウスはアテナイの王アイゲウスとトロイゼンの王女アイトレの子とされる。海神ポセイドンとアイトレとの間に生まれた子であるという伝説もある。
テセウスはトロイゼンで育てられたが、16歳の時、アイゲウスに息子として認めさせるために、アテナイに向かった。アテナイには安全な海路を取ることも可能であったが、テセウスは敢て危険な陸路を選び、道中の山賊や怪物を討ち果たした。
道中、テセウスが倒した山賊プロクルステスは「プロクルステスの寝台」の逸話で有名である。この山賊は旅人に寝台を勧め、大きな寝台より背が小さければ、旅人の手足を無理やり引っ張ることで殺してしまった。また、小さな寝台から手足がはみ出せば、旅人の手足を切り落として殺してしまった。
アテナイでは、アイゲウスの妻メデイアがテセウスを毒殺しようとしたが、テセウスはこの陰謀から逃れ、身に着けていた剣とサンダルによって身の証しをたて、アイゲウスから息子と認められた。そして、メデイアはアテナイから追放された。
当時アテナイはクレタ島のミノス王の命により、毎年7人の若者と7人の乙女を怪物ミノタウルスへの生贄として捧げていた。テセウスはミノタウルスを倒すため、自ら進んで生贄のひとりとなった。ミノタウルスが幽閉されているラビリントスはダイダロスによって築かれた脱出不可能な迷宮であったが、テセウスはミノス王の娘アリアドネからもらった麻糸玉の端を入口の扉に結びつけ、麻糸を伸ばしながら迷宮の奥へと進んでいった。そして、見事にミノタウルスを討ち果たし、麻糸をたどることでラビリントスからの脱出にも成功した。
無事クレタ島から脱出したときは船に白い帆を掲げて帰還すると父王アイゲウスに約束していたが、テセウスがこれを怠り、出航時の黒い帆のまま帰還した。これを見たアイゲウスはテセウスが死んだものと思いこみ、海に身を投げてしまった。アイゲウスが身を投げた海はその名にちなみ、エーゲ海と名づけられた。
アイゲウスを継いで王になったテセウスは憐み深い王としてアテナイを治める一方、アマゾンの女王ヒッポリュテをさらい妻としたり、金羊毛皮を捜し求めるアルゴ船探検隊(アルゴナウタイ)の冒険に参加したり、ペイリトオスとともに冥界の女王ペルセポネを誘拐しようとしたり、様々な冒険を行った。
晩年は王位を追われ、スキュロス島の王リュコメデスのもとに身を寄せていたが、リュコメデスはテセウスを裏切り、彼を崖からつき落として殺してしまった。デルポイの神託によって、テセウスの遺骸はアテナイに戻され、アテナイの人々によって手厚く葬られた。