ミラン・バロシュ
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ミラン・バロシュ(Milan Baroš、1981年10月28日 - )は、チェコ・ヴィガンティツェ出身の同国代表、リーグ・アン・オリンピック・リヨン所属のサッカー選手(FW)。
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[編集] プレースタイル
スピードのある飛び出しと勇猛果敢なドリブル、ペナルティエリア内でのキープ力が魅力。ボールを持ちすぎるとの批判もあるが、守備意識が高く前線からの積極的にプレスをかけるなど、自身は献身的なプレーを身上としている。
しかし精神的に脆弱で、闘志を前面に出して戦うタイプではないため、1度自信を喪失すると回復するのが非常に難しい。1人で局面を打開しゴールを決められるようなタイプのストライカーではないため、前線でコンビを組むストライカーとの相性がバロシュのプレーの質を大きく左右する。
[編集] 経歴
チェコのバニク・オストラヴァでデビュー。2000年のシドニー・オリンピックにチェコの背番号10番として出場したが、欧州ではほとんど無名の若手選手だった。だが当時リヴァプールFCの監督だったジェラール・ウリエに引き抜かれ、2002年、リヴァプールFCに移籍する。
2004年、欧州選手権(ユーロ)で得点王に輝き、同チームのエースだったマイケル・オーウェンがレアル・マドリードに移籍した後、オーウェンの後継者として期待された。 しかし、新監督のラファエル・ベニテスとの確執があり、2006年に放出されるような形でリヴァプールFCを去ることになる。 この際、オリンピック・リヨン、バレンシアCF、シャルケ04などビッグクラブが挙ってバロシュを獲得をめざしたが、結局はアストン・ヴィラへ移籍した。しかしながらにアストン・ヴィラに移籍後は、リヴァプール最終年から指摘されていた以下のプレーが目立つようになる。
- ゴールに向かわない(ボールを受けるとゴールへ向かって加速するのではなく、わざと減速して相手のファールを待つような消極的なシミュレーションとダイブが多く、プレミアの審判には全くと言って良いほど相手にされなかった。また、普段のシミュレーションの多さが仇となり、実際にファールを受けても審判に流される事多数)
- シュートが枠に飛ばない(絶望的な決定力のなさ)
- GKとの1対1での弱さ
このことはバロシュに期待していた多くのファンの失望を買った。
同郷のチームメイト、パトリック・ベルガーはベニテスがバロシュを放出した際「リヴァプールは手持ちの中で、最高のストライカーを放出したことを将来後悔するだろう」とメディアに語った。しかし、結果として6.3mポンドでバロシュをアストン・ヴィラに高値で売りぬいたラファエル・ベニテスに先見の明があったと言えよう。
07年1月、ヨン・カリューとの交換でオリンピック・リヨンへの移籍が決定。再びウリエの指揮下に入ることになったバロシュが復活するかどうかは、本人の自信回復次第だと言えるだろう。
[編集] エピソード
チェコ代表での輝かしい活躍がある一方で、クラブチームでの活躍がふるわないため、「バロシュはイングランドでは輝けない」など批判を浴びることもしばしば。その原因は不明だが、チェコ代表で2トップを組むヤン・コレルの影響が大きいと言われている。
[編集] 経歴
- バニク・オストラヴァ(チェコ) 1998-2001
- リヴァプールFC(イングランド) 2001-2005
- アストン・ヴィラ(イングランド) 2005-2007
- オリンピック・リヨン(フランス) 2007-
オリンピック・リヨン - 2006-2007 |
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