ジュニーニョ・ペルナンブカーノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(Antonio Augusto Ribeiro Reis Junior "Juninho Pernambucano", 1975年1月30日 - )は、ブラジル、レシフェ出身のプロサッカー選手。
目次 |
[編集] 人物
ポジションはMF。フランスのオリンピック・リヨンでプレー。ブラジル代表にも選出されているが、出番は少ない。 同じ時代にカカ、ロナウジーニョという稀代の選手がいなければ間違いなくブラジル代表の中心選手となっていただろうと謳われる選手である。
レシフェの裕福な家庭(4人兄弟の末っ子)に生まれたジュニーニョは、少年時代からフットサルに夢中であった。自身が11歳の時に設立し、初代会長を務めたアルバトロスというフットサルチームが州大会で優勝、ジュニーニョも大活躍したことにより、数々のオファーが舞い込むこととなり、ジュニーニョは地元の有力チーム、スポルト・レシフェに入団する。
1993年、18歳でトップチームにデビュー。その二年後の1995年に強豪CRヴァスコ・ダ・ガマに引き抜かれた。ちなみに、両親からは勉強を最優先するように教育されていた為、ヴァスコ・ダ・ガマからオファーが届くまで、昼間はサッカーの練習、夜間は高校に通うという生活だった。ここでは1998年のコパ・リベルタドーレス優勝に貢献。トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップでも来日した。1999年3月28日に、対韓国戦で満を持して代表デビュー。これを機に欧州クラブでの知名度も上がり、ついに2001年オリンピック・リヨンが獲得にこぎつける。
ジュニーニョが加入した2001-02シーズン、リヨンはクラブ史上初となるリーグ優勝を果たし、ここから破竹の5連覇を果たす。つまり、ジュニーニョはリヨン加入後、2006年現在まで敗北というものを味わっていない。現在では高い戦術理解度と、魔法とも称されるフリーキックを初めとするテクニックを武器に、リヨンの中盤の要としてクラブ内で絶対的な地位を築いている。2006-07シーズンはクラウディオ・カサッパの怪我による離脱に伴いチームのキャプテンも務め、精神的支柱としての役割も果たしている。
ドイツW杯に向けたブラジル代表にも選出され、予選の対日本戦ではフル出場し、強烈な無回転のミドルシュートを決める。これがブラジルサッカーのレベルの高さの分かりやすい一例としてメディアもこのプレイの映像を多用したため、日本での知名度が上がった。同大会終了後、代表引退を表明しているがドゥンガ監督は「引退は選手が決めるものでは無い監督が決めるものだ」と代表選出を匂わせる発言をしている。
[編集] 愛称
「ペルナンブカーノ」とは、「ペルナンブコ(Pernambuco)人」という意味である。ペルナンブコは生地レシフェを州都とするブラジル北東部の州の一つであり、CRヴァスコ・ダ・ガマ時代の同僚で同呼称のジュニーニョ・パウリスタ(サンパウロ人の意)と区別するためこの呼称が定着した。
[編集] プレースタイル
後述のFKばかりが注目される感があるが、パスセンスも非凡。さらに戦術理解度の高さを生かして中盤でさまざまな役割を担うことが出来るユーティリティー性も持ち合わせる。決して派手ではないが、プレーの一つ一つが非常に安定している。
[編集] FKの名手
2006年現在、世界屈指のFKの名手と謳われる選手である。ほとんどボールを回転させない彼のフリーキックは不規則な軌道が非常に読み辛く、レンジを問わず精度も高い。また、無回転ボールの他にも、横回転や、さらには純縦回転をかけてFKを蹴る場面も多く、ことバリエーションにおいては、現在彼に並ぶキッカーはいないと言える。最近ではロベルト・カルロスの異名「悪魔の左足」に擬えて「魔法の右足」と呼ばれることもある。 ACミラン所属のアンドレア・ピルロが彼のフリーキックの蹴り方を見習ったというのは有名な話。
特に2004-2005シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・ノックアウトステージ1回戦のSVヴェルダー・ブレーメン戦や2005-2006シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・ノックアウトステージ1回戦の対PSV戦で見せたFK(どちらも無回転で前者の場合は揺れっぷりが半端でなく映されており、後者の場合は急激な落下にブラジル代表GKエウレリョ・ゴメスが追いつけず体で当てようとしても入ってしまった)は魔法以外の何ものでもない。 2006 FIFAワールドカップの日本戦でこの無回転ボールのミドルシュートを決めた(この時日本のGKだった川口能活は「一瞬、ボールが消えた。自分の今の技術では止めることが出来ない」と語った)。
[編集] 所属チーム
- スポルチ・レシフェ 1993-1994
- CRヴァスコ・ダ・ガマ 1995-2000
- オリンピック・リヨン 2001-
![]() |
ブラジル代表 - 2006 FIFAワールドカップ | ![]() |
---|---|---|
1 ヂーダ | 2 カフー | 3 ルシオ | 4 フアン | 5 エメルソン | 6 ロベルト・カルロス | 7 アドリアーノ | 8 カカ | 9 ロナウド | 10 ロナウジーニョ | 11 ゼ・ロベルト | 12 ロジェリオ・セニ | 13 シシーニョ | 14 ルイゾン | 15 クリス | 16 ジウベルト | 17 ジウベルト・シウヴァ | 18 ミネイロ | 19 ジュニーニョ・ペルナンブカーノ | 20 リカルジーニョ | 21 フレッジ | 22 ジュリオ・セザール | 23 ロビーニョ | 監督: パレイラ |
オリンピック・リヨン - 2006-2007 |
---|
1 クーペ | 2 クレール | 3 クリス | 4 ミュラー | 5 カサッパ | 6 シェルストレーム | 7 バロシュ | 8 ジュニーニョ | 10 マルダ | 11 フレッジ | 12 レヴェイエール | 14 ゴブ | 15 ディアッラ | 18 ベン・アルファ | 19 ベンゼマ | 20 アビダル | 21 チアゴ | 22 ヴィルトール | 23 ベルトー | 25 アルトック | 28 トゥララン | 29 スキラシ | 30 ヴェルクートル | 31 イマ | 34 レミ | 36 イダンガル | 38 ベナミダ | 39 ベティオル | 監督 ウリエ | 編集 |
カテゴリ: ブラジルのサッカー選手 | CRヴァスコ・ダ・ガマの選手 | リヨンの選手 | 1975年生 | サッカー選手に関するスタブ項目