ユスティノス
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ユスティノス(Ioustinos、100年? - 162年?)は紀元2世紀のキリスト教神学者。ギリシア教父の系統に属し、「護教教父」といわれる最初期のキリスト教神学者の一人。
[編集] 生涯と思想
自身の著述によれば、ユスティノスはサマリア(イスラエルの北方)のフラウィア・ネアポリス(ナーブルス)出身。父はプリスクスという名であった。アテネ・ローマに学び、さまざまな哲学諸派をへてキリスト教にたどりつき、エフェソスで洗礼を受けた。当時盛んだったグノーシス主義を「キリスト教の正当な信仰をゆがめるもの」として激しく批判した。アントニウス・ピウス帝の時代にローマへ赴き、そこでキリスト教を広める私塾を開いた。論破した哲学者の陰謀で捕えられ、ローマで殉教したと伝えられる。そのため「殉教者ユスティノス」と呼ばれることもある。
ユスティノスの思想の特徴は、キリスト教徒として初めてギリシア思想とキリスト教思想を融合しようとしたことにある。具体的には当時のギリシア哲学の用語であった「ロゴス」をキリスト教思想に取り入れている。ユスティノスに先立ちアレクサンドリアのフィロンもユダヤ教徒としてユダヤ教思想にロゴスを取り入れ、「神はロゴスを通して自らを表す」と唱えたが、ユスティノスはフィロンと異なり、キリスト教徒としてイエス・キリストこそが完全なロゴスであると考えた。イエスは「普遍的・神的ロゴス、純粋知性、完全な真理」であるとユスティノスはいっている。
彼の著作に見られるスタイルは、ギリシア人に対してキリスト教思想を解説し、誤解や偏見をなくそうとする姿勢(これが護教論的といわれる)が根本にあり、当時の一般的なキリスト教観と対話する形をとっている。
さまざまな哲学諸派を遍歴し、プラトン哲学を自らの思想的土台とした彼は「人間の魂は本質的にキリスト教的なものである」として、キリスト教こそが唯一の真理であると考えた。そして古代の哲学はその真理にいたる前段階であると考え、それらの中に断片的に真理が存在するのは、その中にある「種子的ロゴス」のせいであると考えた。これを「種子的ロゴス論」という。
[編集] 著作
現存するもの
- 『ユダヤ人トリュフォンとの対話』 - ユスティノスの聖書解釈を示す著作。
- 『第一弁明』、『第二弁明』 - ローマ皇帝と元老院にあてた形で書かれた護教的(キリスト教を擁護する)著作
失われたもの
- 『異端反駁』
- 『マルキオン反駁』
- 『ギリシア人反駁』
- 『魂について』